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Vol.97「ゴドーを待ちつつ」 ベケット

Photo 下記の作品案内は、代表的作家の生涯・主要作品が要領よく解説され、さらに充実の翻訳文献を付した、現在入手しうる最良の文学案内として好評を得ている世界文学シリーズからの一冊、「イギリス文学案内」(朝日出版社)より引用しています。


ゴドーを待ちつつ Waiting for Godot(1952;1954 英訳)[2幕]不条理劇

サミュエル・バークレイ・ベケット Samuel Barclay Beckett19061989

劇作家・小説家

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解説

 

 ベケットの代表作であり、不条理演劇の先駆けとなった記念碑的作品。1948年から49年にかけての冬、「モロイ」、「マロウン」、「名づけえぬもの」といった小説三部作を執筆中に、気晴らしに仏語で書いたといわれる。52年に出版、その翌年15日にパリで初演される。

 

 英語版が刊行されたのは54年で、ロンドンでの初演は5583日、ピーター・ホール(Peter Hall)が演出を手掛けた。両公演とも批評家や観客たちの間で物議をかもしたが、興業は成功した。これに対して米国公演は失敗に終わった。言葉の論理性が解体され、会話がしばしば脈絡を失い断絶するこの作品は、役者泣かせの芝居としても知られている。ベケットは、この2幕からなる悲喜劇において、一切の物語性を排除し、何も起こらず結末を迎えない演劇を成立させた。

 

 

 

梗概

 

 ある夕暮れどき、辺りは荒れ地で、1本の頼りなげな柳の枯れ木がそばにあるだけの寂しげな田舎道の傍らに、老いた浮浪者が2人。一方の名はウラジーミル、もう一方はエストラゴンといい、互いを「ゴゴ」、「ディディ」の愛称で呼び合う間柄。2人はゴドーという名の人物をひたすら待ち続けている。ところが肝心の待ち合わせの時と場所はおろか、待ち合わせの用件すら定かではない。待つことの動機が曖昧であるにもかかわらず、素性も顔すらも知らないに等しいゴドーを待ち続けて、徒に時間をやり過ごしている。

 

 そこへ地主のポッゾが使用人のラッキーを連れて通りかかる。ラッキーは主人の荷物の重みに喘ぎながら、首にかけた縄でポッゾに馬車馬のように操られている。ポッゾはウラジーミルとエストラゴンに気づくと歩みを止めて休息し、とりとめもなく2人に話しかけ、ラッキーに踊らせ、その思考を語らせる。難解で意味不明なラッキーの話に閉口した3人は、忍耐の限界に達して、全員で飛び掛かりラッキーを黙らせる。その後ポッゾは2人に暇乞いをし、ラッキーと立ち去る。

 

 間もなく、そこへ男の子が現われ、「今晩は来られないが、明日はきっとくる」というゴドーの伝言を2人に伝えて、足早に立ち去る。すると突如として夜が訪れる。2人は柳の木での首吊りを思いつくが、ひとまず立ち去るという。しかし結局は、その場に留まり第1幕が終わる。

 

 第2幕はその翌日で、第1幕と同じ場所でほぼ同じことが繰り返される。柳の木が若葉で覆われていることが僅かながら前日の風景と違う。他の4人の登場人物とは異なり、ウラジーミルだけが前日の出来事を覚えていて、前日との相違点を指摘する。

 

 再び2人の前に現われたポッゾは、前日の剛胆さは微塵もなく、唖のラッキーを頼みの綱とする弱々しい哀れな盲目の老人であり、時を意識することを過敏に嫌い、拒絶する。

  前日と同じように男の子が現われたので、ウラジーミルはゴドーの伝言を先取りして言い当てると、男の子は立ち去る。やがて日は沈み突然月夜となり、2人はまた柳の木で首吊りを考えるが、易々と諦めて立ち去ることにする。が、またしても言葉とは裏腹にその場に留まる。


「ゴドーを待ちつつ」

著者: ベケット

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2011/11/01