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Vol.86「アメリカの夢」 メイラー

Photo 下記の作品案内は、代表的作家の生涯・主要作品が要領よく解説され、さらに充実の翻訳文献を付した、現在入手しうる最良の文学案内として好評を得ている世界文学シリーズからの一冊、「アメリカ文学案内」(朝日出版社)より引用しています。


アメリカの夢 An American Dream(1965) 長編小説

ノーマン・メイラー Norman Mailer19232007 小説家


勝者のトラウマ

ハーヴァード大学出の秀才で第2次世界大戦の英雄、黒幕的な億万長者の一人娘デボラ・ケリー(Deborah Kelly)と結婚したスティーヴン・ロージャック(Stephen Rojack)は出世の階段を上るのだが、実は「空虚の上に築かれた名士」でしかなかった。満月の夜の戦場で殺したドイツ兵の眼差しが脳裏から去らず、彼を苦しめていたのだ。せっかく手に入れた下院議員の地位もさっさと捨ててしまう。8年の結婚生活はアメリカ資本主義の重圧を体現しているような妻に完全に尻に敷かれたものであった。

「恩寵」から切り離された状態を打破する道は自殺しかないといったんは考える。だがある満月の夜、口論の末、彼は天国への扉を押し開くような高揚感を覚えながら妻を絞め殺し、高層アパートの窓から遺体を突き落とす。そしてドイツ人のメイド、ルータ(Ruta)の部屋に押し入り、「きみナチだろう」とつぶやきながら数センチをへだてた悪魔(終わり)と神(始まり)の間を往復するという儀式めいた性交を彼女と交わしたのち、警察に電話する。扼殺の跡があるという検死結果も出て、「自殺だ」という彼の証言は容易に受け入れられず、『罪と罰』の場面を思わせるような係官との根競べが展開されるのだが、やがてデボラが生前二重スパイをしていたことが判明し、その事実の政界への波及を恐れたデボラの父オズワルド・ケリー(Oswald Kelly)のはからいで彼は釈放される。

悪魔との対決

ロージャックはナイトクラブの歌手チェリー(Cherry)と意気投合して、生命を甦らせるような性の交わりをしたのち、二種の厄介な相手との対決を迫られる。まず彼はチェリーのもと情夫である物騒な黒人シャゴ・マーティン(Shago Martin)と格闘して彼女を奪い取ることに成功する。しかるのちにウォルドーフ・ホテルで義父と対面するという仕事が残っている。義父はロージャックにデボラ殺害を認めさせたいのだ。彼は白を切り通そうとするが、義父の口から娘と近親相姦を犯していたという告白をきかされて、あっさりおのれの犯行を認める。義父は彼に地上30メートルのバルコニーの欄干を歩いてみろとそそのかす。ロージャックは月を仰ぎながら敢然と挑戦にこたえる。その間に危惧したとおり、彼の子供を宿したチェリーは何者かに殺害されてしまう。ロージャックは西に向かって旅に出、月の光を浴びたチェリーの幻と語り合う。

月=狂気の誘惑

殺人を犯しながら罰を受けず、罪の意識のかけらも見られない(とはいえ実は殺したドイツ兵の亡霊は主人公のトラウマになっている)この小説は多くの批評家から集中砲火を浴びせられた。開かれた西部に託したアメリカの夢は疾うにない。

作中に繰り返し登場する月(luna)の怪しい力、狂気(lunacy)の想像力によって、またセックスや魔術、そして悪魔の力まで借りて、生命力を取り戻そうというのがメイラーの戦略である。

【名句】Marriage to her was the armature of my ego ; remove the armature and I might topple like clay. 「彼女との結婚は僕の自我を包む鎧だった。鎧を取り払ってしまえば、僕は粘土みたいに崩れてしまったかもしれない」

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「アメリカの夢」

著者: メイラー

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2011/04/05