Vol.83「ルーマニア日記」 カロッサ
下記の作品案内は、代表的作家の生涯・主要作品が要領よく解説され、さらに充実の翻訳文献を付した、現在入手しうる最良の文学案内として好評を得ている世界文学シリーズからの一冊、「ドイツ文学案内」(朝日出版社)より引用しています。 |
ルーマニア日記 Rumänisches Tagebuch(1924)従軍日記
ハンス・カロッサ Hans Carossa(1878-1956) ドイツの詩人・小説家
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あらすじ
北フランスのベルモントに駐屯していた私たちの軍隊は、1916年10月のある日、突然行く先も告げられず、東方に移動を命じられた。兵士たちを乗せた汽車は、ドイツを横切ってルーマニアに近づいた。私は軍医としての職務のほかに、手紙の検閲を手伝っていたが、いつのまにか若い兵士グラヴィーナの手紙を読むのが楽しみになった。私の部隊にいる友人たちに宛てた彼の手紙には、いくつかの心に残る言葉があった。なかでも「蛇の口から光を奪え!」という言葉は、深く私の心を動かした。
部隊はルーマニアに入った。悲惨な戦禍の土地に暗い冬が来ていた。大戦はすでに3年目を迎え、兵士たちは長い行軍と栄養失調に疲れ果て、物資は欠乏しはじめていた。絶え間なく行軍、戦闘、露営を繰り返しながら、戦線に近いキシュハヴァシュの山に着いた私たちはそこに陣を敷いた。ある日、観測将校から借りた望遠鏡に、塹壕(ざんごう)の中でくつろいでいるルーマニア兵たちの姿が映った。私がそれを告げれば、何も知らない敵兵たちを殺すことになる。しかしそのままにしておけば、明日は彼らのために味方が殺されることになるのだ。私は動揺したが、将校にそれを告げることはついに出来なかった。
戦闘は激しくなった。ある日、山の中で私は瀕死のルーマニア兵に、すそをつかまれた。軍服の胸を開くと内蔵がとび出していた。モルヒネを注射してやると、彼は気持ちよさそうに白樺に頭をもたせかけて眼を閉じた。その眼に花びらのような雪が舞い落ちた。
山を下りてある農家に泊まったときのことである。その家ではたくさんの仔猫が生まれたが、食糧がないため、そこで働く少年が、仔猫たちを壁に叩きつけて殺していた。食事のとき、一匹だけ生き残った仔猫が、よろめきながらやって来て少年にすり寄った。おどろきのあまり、すっかり人柄が変わってしまった少年は、自分の食べ物を与えてやさしく仔猫をいたわってやったが、翌日その仔猫は、苦しみながら死んでいった。その最後の姿は、目撃者を深く感動させた。
部隊はロシア軍と激しい戦闘をくりかえす。グラヴィーナは、11月16日の戦闘で死んだ。彼のポケットから落ちた手記を拾った私は、ロシア軍の激しい砲撃にさらされながら、それを仲間たちに読み聞かせてやった。それは、戦禍を越えて、きたるべき偉大な霊の世界の先駆者となろうという決意をうたった生の讃歌であった。
「ルーマニア日記」
著者: カロッサ