Vol.79「パルツィヴァール」 エッシェンバッハ
下記の作品案内は、代表的作家の生涯・主要作品が要領よく解説され、さらに充実の翻訳文献を付した、現在入手しうる最良の文学案内として好評を得ている世界文学シリーズからの一冊、「ドイツ文学案内」(朝日出版社)より引用しています。 |
パルツィヴァール Parzival(1200~1210?)叙事詩
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ
Wolfram von Eschenbach(1170?-1220?) ドイツの詩人
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あらすじ 危険な騎士修業のために夫を失ったヘルツェロイデは、ひとり息子のパルツィヴァールだけは騎士にするまいと思い、静かな森に移住して、農耕に従事しつつ生活する。少年は森の鳥獣を相手に成長するが、ある日森の中を疾駆してきた騎士の凛々しい姿を見て以来、にわかに騎士生活への憧憬を感じる。そして難色を示す母を説き伏せ、アルトゥス(アーサー)王のもとにおもむく。見送った母は悲嘆のあまり絶命する。 都に着いた彼は、首尾よく王に拝謁する。そのとき、装束も馬も赤一色に彩られた「赤騎士」が現われ、王の家臣との試合を要請する。パルツィヴァールは、王に願い出て自分が相手となり、一合のもとに突き伏せる。そして奪った装束を身にまとい、武者修行の旅に出る。やがて高名な騎士グルネマンツの知遇を得、騎士道について教えを受ける。ここで彼は、口数の多いことをたしなめられ、寡黙の美徳を教えられるが、このことは、後年の彼に重大な運命をもたらすこととなる。やがてブロバルツに行った彼は、敵に包囲されていた城から女王コンドヴィラムールを救出し、その後彼女と結婚する。が、やみがたい衝動に駆られて、ふたたび修業の旅にのぼる。 長い遍歴の後に、聖杯の王アンフォルタスにめぐりあう。王は彼を手厚くもてなす。広間に通された彼の前に、うやうやしく聖杯が運ばれる。と、その聖杯からは、次から次へと山海の珍味があふれ出し、たちまち豪勢な宴席がととのう。しかし、臨席した王の顔には、苦悶の表情が漂っている。王は神罰によって重病にかかっていたのである。この病気は、選ばれた騎士によって、聖杯の由来と王の病気の原因とが尋ねられたときに、一挙に治ることになっている。が、かねて寡黙の美徳を教えられているパルツィヴァールは、不審を抱きながらも、あえて質問をしようとはしない。ところがさらに不思議なことに、翌朝彼が目ざめてみると、城中にはまったく人影がない。ただ外庭に、おびただしい足跡がしるされているばかりである。 茫然として城を出た彼は、やがて行き会った婦人に、体験した不思議を物語る。すると婦人は、王の病苦を目のあたりにしながら、一言も理由を尋ねようとしなかった彼を激しく責める。その婦人は彼の従姉にあたり、王は彼の伯父であった。事情を知って驚いた彼は、伯父を捜すべく旅を続ける。その途中、たまたま赤騎士を召し抱えるべく捜していたアルトゥス王にめぐりあい、長年の念願ががなって、栄誉ある円卓の騎士の一員に加えられる。が、その喜びもつかのま、突如として現われたグラール城の使者の中傷により、王の信望を失った彼は、またもや放浪の旅に出る。 たびかさなる不運のために、彼はしだいに神を呪わしく思うが、森の中で出会った巡礼の者に自分の非をさとされて以来、ふたたび恩寵を信ずるようになる。その巡礼者のすすめに従い、彼は洞窟に隠者を訪ねる。彼の告白を聞いた隠者は、彼が自分の甥にあたること、彼の母が亡くなったこと等を語り聞かせた後、「聖杯」について詳しく説明し、「聖杯」は神が地上へ下されたもので、キリスト教徒以外は近づくことができぬこと、「聖杯」は神秘な力をもち、接する者に不老不死の生命を与え、望む者に無限の食物を与えること、「聖杯」の守護者は特定の家柄の者に限定されており、選ばれた者は、妻以外の女性と肉体的な関係を結ぶことは許されぬこと、そして「聖杯」の現在の守護者アンフォルタスが、神罰による重病に苦しんでいる理由は、彼がこの掟にそむいて浮気をしたためにほかならぬこと——などを語ってくれたのであった。 パルツィヴァールは、この伯父にあたる隠者のもとに滞在しているあいだに、神の道について深い教えを受け、確固たる信仰を抱くようになった。やがて隠者に別れを告げた彼は、グラール城を求めて旅に出る。ある時、森の中で異教徒の騎士に挑まれて試合をする。彼は武器を折られるが、危機一髪、名乗り合った結果、相手が異母兄であったことを知り、走り寄って固く抱擁する。 その後二人はアルトゥス王のもとにおもむき、ともに円卓の騎士に列せられる。そこに、ふたたびグラール城の使者が忽然と姿を現わし、パルツィヴァールに対して至急聖杯の王を救助されんことを懇願する。パルツィヴァールは、さっそく異母兄とともにグラール城に急行し、王に苦痛の原因をたずねる。その刹那、アンフォルタスの病気は全快する。かくて、「聖杯」の託宣によって、パルツィヴァールが王位を継承するや、やがて妃コンドヴィラムールも彼の子を伴って参集し、期せずして肉親のすべてが一堂に会する。 …………………………………………………………… 付記 16巻、24840行から成る壮大な叙事詩で、75の写本ないし断片が残されている。フランスのクレティアン・ド・トロワの『ペルスヴァル、または聖杯物語』を主要原典としているが、内容は真にドイツ的なものになっている。騎士道修業とキリスト教の信仰によって、少年パルツィヴァールが名誉ある円卓の騎士となり、ついに聖杯王となるまでの経緯を描き、騎士の理想像を追求した点で、この作品は、ドイツ文学の伝統となった「教養小説」の先駆とも見なされている。作者は、正規の教育を受けず、読み書きができなかったという。したがって、この作品は口述筆記させたものである。文体は独特の発想や飛躍があって、きわめて難解である。ヴァーグナーの楽劇『パルズィファル』は、この作品をもとにして書かれた。
「パルツィヴァール」
著者: エッシェンバッハ