Vol.63「ドゥイノの悲歌」 リルケ
下記の作品案内は、代表的作家の生涯・主要作品が要領よく解説され、さらに充実の翻訳文献を付した、現在入手しうる最良の文学案内として好評を得ている世界文学シリーズからの一冊、「ドイツ文学案内」(朝日出版社)より引用しています。 |
ドゥイノの悲歌 Duineser Elegien(1923)10篇の悲歌
ライナー・マリーア・リルケ Rainer Maria Rilke(1875-1926)
オーストリアの詩人
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解説 10篇から成るこの悲歌は、1912年の冬、ドゥイノの城に滞在していたリルケが、海ぞいの断崖の上を散歩していたとき、突然、天の啓示のように詩想を得たという事情から、『ドゥイノの悲歌』と名づけられた。しかし、これを完成するまでには、第一次大戦とその後の苦難の時代とをはさむ前後10年の歳月を要した。 純粋な思想的体験を動機として、死、愛、仕事、日常生活、苦悩など人間存在のあらゆる問題をうたったこの悲歌は、20世紀ヨーロッパの最高の詩業のひとつにかぞえられている。第二次大戦前後の実存主義の哲学および文学運動に大きな影響を与えた。 内容 第1の悲歌は、「ああ、たといわたしが叫んでも、並び立つ天使の中の誰がそれを聞いてくれよう?」という書き出しではじまる。人間を天使と対比することによって、人間の非力さ、また人間存在のはかなさを嘆くこの冒頭の詩句は『ドゥイノの悲歌』全篇のモチーフとなっており、そして、はかなく非力な人生に、詩人としての自己がいかに対処すべきかという問題が全篇の主題となっている。 第2の悲歌では人間の美と愛のはかなさを嘆き、天使の永遠で完全な愛をはげしく求めつつ、そのような自己を戒めて、つつましい人間の世界への憧れをうたう。 第3の悲歌では、人間存在の最も明白な証と感じられる「性の衝動」についてうたい、人間存在と同様に孤独で、絶望的な苦悩にみちた人間の内面的世界を象徴的に描き出している。 第4の悲歌は、自己と世界との対立を意識せずにはいられない人間の宿命や、人間存在の無常と永遠への思慕との背反を嘆く。 第5の悲歌は、機械的に特技を操り返す大道の軽業師の姿から、人間の習慣化したうつろな日常生活の惨めさを感じとり、心情を扱う芸術家でさえも技能の習慣化という危険にさらされていることを反省して、純粋で弾力性のある心情をもち続けたいと希求している。 第6の悲歌は、無常を超克し得た英雄を、充実した生存の典型として讃美し、その中に自己の理想を見出している。 第7の悲歌は、無心にさえずるヒバリの姿に感動して、無償の愛を歌いつづけることの尊さに思いを致し、さらに「どこにも世界は存在しないであろう。内部に存在する以外には」という省察のもとに、一切の存在を肯定するに至る。 第8の悲歌では、死の恐怖から解放され得ない人間の宿命を嘆き、第9と第10の悲歌では、人間と万物との関連を定義し、事物を言葉でうたい、表現することによって、事物に永遠で完全な内面的存在を与えることが、詩人としての自己の使命であるとうたっている。
「ドゥイノの悲歌」
著者: リルケ