Vol.59「晩夏」 シュティフター
下記の作品案内は、代表的作家の生涯・主要作品が要領よく解説され、さらに充実の翻訳文献を付した、現在入手しうる最良の文学案内として好評を得ている世界文学シリーズからの一冊、「ドイツ文学案内」(朝日出版社)より引用しています。 |
晩夏 Nachsommer(1857)長篇小説
アーダルベルト・シュティフター Adalbert Stifter(1805-1868)
オーストリアの小説家
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あらすじ ハインリヒ・ドゥレンドルフは、首都の市民階級の家で育った。父は商人であったが、教養を重んじ、かねがね子どもに対して、自己の才能を充分に伸ばすよう望んでいた。そこで、学問に精励したハインリヒは、さまざまな分野に分け入った末に、地質学に対して格別の興味をおぼえるに至った。以来、夏が訪れるたびに高山におもむき、岩石や地形について、収集や計測や作図等に熱中することが、例年の彼のならわしとなった。 ある日、アルプス山麓で嵐に遭い、烈風を避けようとして一軒の家をめざして行った彼は、その家にたどりついたとき、突如として眼前に展開した光景に、息をのんで茫然と立ちつくした。そこには、色とりどりに咲き匂うバラの花が、いちめんにひろがっていたのである。場所が場所であるだけに、それは異様な光景であった。が、不思議なことにそのバラ園は、人工のものであるにもかかわらず、周囲の自然と、まったき調和を見せていた。この矛盾を含んだ壮麗な風景が、ハインリヒの心を強くとらえた。やがてこの家のあるじである白髪の老人(リーザハ男爵)が現われ、彼を親切にもてなしてくれた。 庭に案内されたハインリヒは、ふたたび驚異の目を見張る。そこには、実に豊富な種類の花々が洪水のように咲きみだれ、その上をおびただしい数の小鳥たちが、さえずりながら飛び交っている。これら動植物の管理について説明する老男爵の話には、博物に対する並々ならぬ造詣の深さが感じられて、ハインリヒは強い感銘を受ける。話し合ううちに、二人の胸中には、年齢の差を越えた親しい感情があふれてくる。 若者は、この家にしばらくの滞在を願い出て許される。質素ながら雅致に富んだ家具調度類をはじめとして、邸内にはすみずみに至るまで、洗練された高雅な趣向が感じられる。そして科学研究用の収集物や器具類、ぼう大な量の蔵書、あるいはすぐれた絵画等、およそ学芸探求のために必要なものは、ことごとくといってよいほど備えられている。特に若者の目をひいたものは、広間の床と壁であった。そこにはめこまれたこの地方特産の大理石からは、絶妙なニュアンスが感じられた。 若者はこれらのものに接するうちに、この家のあるじが、深い芸術的教養を積んだ職人であることに思い至った。彼は邸内のいたるところに、今までは夢や空想でしか思い描くことのできなかった真に美しいものの姿が、現実のものとして、具現されているのを見たのである。かくて三日の後、老人に別れを告げたとき、若者は、老男爵との邂逅によって、自分の心がかつてないほど高められたことを痛感し、快い興奮に身をゆだねた。 翌年の春と夏、若者はふたたび男爵を訪問し、歓迎される。この二度にわたる滞在中、男爵に親灸しつづけた若者は、予期した以上に自己が深められたことを悟る。特に若者が男爵を敬仰してやまなかった理由は、彼の所有する知性や感性そのものが、豊かな人間性にもとづくものであり、その上、芸術はもとより、ひろく学問の諸分野にわたっての実に広汎な知識に裏づけられていることにあった。 若者は、ここで教育を受けている養子のグスタフとも親しくなった。ある日、グスタフの母マティルデと、妹ナターリエとが訪れる。若者はひと目見てナターリエの美しさに心を打たれる。そして程なく彼女たちの領地シュテルネンホーフへ招待される。親しみを増すにつれてしだいにナターリエを愛するようになったハインリヒは、やがて彼女のうちに理想の女性の姿を見るようになった。ある日、泉のほとりのニンフの像の下で、ためらいがちに思いを打ち明けた彼は、彼女の方も自分をひそかに慕いつづけていたことを知った。彼らの仲は急速に発展し、二人はそれぞれの家族に結婚の希望を告げた。 結婚の前に、できるかぎり深い教養を身につけるよう父からさとされた彼は、父と一緒に旅に出る。旅からもどると、山荘に男爵を訪れ、男爵の秘められた過去の話を聞いた。男爵とマティルデとはかつて恋人同士であったが、事情があって結婚することができなかった。マティルデはタローナ伯と結婚し、男爵は官吏となって高官の地位についたが、自己の天分を考慮して職を辞し、この地に隠棲した。そしてそれから現在に至るまで、二人は老人同士の純粋な清い友情で結ばれ、「先立つ夏のなかった人生」の晩夏の日々を送っているのである。――この回顧談を聞いて、ハインリヒは心から感動した。 やがて二年間にわたるヨーロッパ旅行から帰ったハインリヒは、人びとの祝福を受けてナターリエと結婚する。そして男爵とマティルデとは、自分たちの青春の季節にはみたされなかったしあわせを、若い二人の姿に見出すのであった。 …………………………………………………………… 付記 このぼう大な教養小説は、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』を範とし、1848年の3月革命の政治的影響に対する意識的な反論として書かれたものである。ここに描かれた世界は、激しい生存競争とは無縁の、いわば19世紀ヨーロッパの台風の目のような静かな世界である。ここでは、自然の法則が道徳律として、美と調和に満ちあふれた高い倫理的世界を形成し、情熱は浄化され、おだやかな魂の共同体をつくりあげている。 ささやかな自然や、つつましい人生が、比類なく美しい文章で描かれている。発売当時この作品は、退嬰的で退屈なものとして退けられた。同時代の巨匠ヘッベルでさえ、これをシュティフターの世界観の狭さとして非難し、この書を終わりまで読み通した者にはポーランドの王冠を呈す、とまで酷評した。しかし、しだいに真価が認められ、これを愛読したニーチェは、くり返して読まれるべきドイツ散文の至宝と絶賛した。
「晩夏」
著者: シュティフター