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Vol.55「アモク」 ツヴァイク

Photo 下記の作品案内は、代表的作家の生涯・主要作品が要領よく解説され、さらに充実の翻訳文献を付した、現在入手しうる最良の文学案内として好評を得ている世界文学シリーズからの一冊、「ドイツ文学案内」(朝日出版社)より引用しています。


アモク Amok1922短篇集

シュテファン・ツヴァイク Stefan Zweig18811942) オーストリアの小説家

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解説

この短篇集は、『最初の体験』(11)、『感情の混乱』(26)とともに「鎖(ケッテ)」と呼ばれている。ツヴァイクは、人間の運命をあやつる魔的な力が、偉大な人物においては創造的な力となって発現し、平凡な人間の場合には主として恋愛の情熱となって働くと考えた。そして前者を、偉大な文人の伝記を扱った『世界をつくる巨匠たち』において追求し、「精神の類型学」をつくりあげようと試みた。つまり、年令、境遇、時代などによってそれぞれ異なる感情や情熱の類型を描き出して、ひとつの世界を創造することを目ざしたのである。ここには次の5篇が収められており、いずれも情熱に駆られた人間の姿がたくみに描かれている。

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アモクロイファー Der Amokläufer

みずから希望してジャワの奥地におもむき、長年現地民の健康管理に専念してきた医者のもとに、ある日上流階級の白人の女性が訪れる。夫のヨーロッパ旅行中に浮気をして身ごもった彼女は、夫に知られぬように堕胎手術を受けようと思い、この奥地まで来たのである。久しいあいだ白人に接したことのなかった医者は、夫人の白い肌を見るとにわかに激しい欲情を覚えて、交換条件として彼女のからだを要求する。夫人は拒絶して町へ帰る。が、今や欲望のとりこになった医者は、この地方の住民にしばしば見られる「疾駆病患者(アモクロイファー)」のように、執拗に夫人のあとを追う。医者を避けた夫人は、現地の老婆に堕胎を頼んで、その結果無残な死をとげる。医者は夫人の棺を追って密航する。ナポリに入船したとき、積荷おろしのどさくさにまぎれて、ついに棺を手に入れた医者は、彼女の秘密を守るために死体とともにわが身を海中に投げてしまう。

女と風景 Die Frau und die Landschaft

何十年ぶりという記録的な日照りの夏のことである。この物語の語り手は、ある高原の避暑地に滞在していた。きびしい暑さのために、何もかも狂ってしまったかのようであった。ある夜、彼の部屋にうら若い夢遊病の女があらわれた。彼女は眠ったまま彼に抱かれて、はげしいくちづけを交わした。彼は女を目ざめさせてくちづけをしたいという欲望に駆られて彼女を揺り起こす。目ざめた女は驚愕して走り去った。

折から待望の雨が降り出して、絶え間ない雨の音が彼の狂燥をしずめた。ぐっすりと眠った翌朝、食堂で両親のあいだにすわって食事している女の姿を見かけた。女は明るく笑いさざめき、昨夜のことなど全然覚えていないようであった。

幻想的な夜 Phantastische Nacht

R男爵は人生に退屈しきっていた。彼の感情は、凍結してしまっていて、もはや何を見、何に接しても、すこしも感興をしめさない。ある日彼は競馬場へ出かけた。彼の席の近くに美しい婦人がいた。彼は退屈しのぎにさまざまな空想にふけりながら、その婦人を観察した。やがて彼女の夫があらわれた。ハゲ頭の肥った男で、手に馬券の束を握りしめていた。男爵は、とっさの悪意からその男を転倒させ、飛び散った馬券の一枚を踏みつけて知らん顔をしていた。

レースの結果、偶然にもその劵が当たった。彼はさっそく金に替え、あらためてその金で当てずっぽうに馬券を買った。ところがそれが大穴となり、彼は莫大な金をつかんだ。その金を持って盛り場へ行った彼は、したいほうだいのことをする。やがて凍結していた感情がほぐれ、幸福感にあふれた彼は、有り金全部をまき散らしてしまう。

見知らぬ女の手紙 Der Brief einer Unbekannten

41歳の誕生日に旅から帰った作家Rは、「見知らぬ女」からのぶ厚い手紙を受け取る。彼女は、愛児を流行性感冒で失い、自分も感染して、高熱にあえぎながらこの手紙を書いたのである。子供の頃、作家と同じアパートに住んでいた彼女は、ひそかに作家に思いを寄せていた。その後、彼女は家の事情でよその土地に移ったが、成人してから勤め口を見つけてヴィーンにもどってきた。そしてひと目作家に会いたいと、夜ごとにアパートの前に立った。

そうしたある夜、彼女は作家と出合い、街の女と間違えられて一夜を共にした結果、男の子を生んだ。しかし、名乗り出て彼の自由を束縛し、作家としての生活を乱すことを恐れた彼女は、ただひとりで子どもを育て、作家の誕生日にひそかに白バラを贈ることで満足していた。そして、いつかは作家の方で彼女のことに気づいてくれるだろうとひたすら待ちつづけながら、彼女は高級娼婦となって愛児を育てた。

その後ふとしたことから、彼女はふたたび作家にめぐりあった。そして思い出の部屋で一夜を明かしたが、作家は、以前に一度夜を共にしたことさえ思い出さなかった。「……私はあなたを愛しています……ごきげんよう……」と手紙は結ばれていた。——作家はふるえる手で手紙をわきへおいた。この女性のことは、何ひとつ思い出せなかった、が、誕生日の白バラが、今日は机の上にないことに気づいたとき、彼は慄然とした。

月夜の路地 Die Mondscheingasse

主人公は、金を貯めることだけを生き甲斐にして、日頃妻を虐待しすぎたため、妻はたまりかねて他の男と駆け落ちしてしまう。妻に逃げられてみると、彼は、彼女なしでは一日も生きてゆけないことに気がついた。彼は営々として貯めた金を惜しげもなく使って、妻の行方を探し出し、小さな港町のいかがわしい居酒屋の女に落ちぶれた妻のもとに通いつづける。女は彼を嫌って拒否し、侮辱しつづけるが、愛欲に盲いた男は、すげなくされればされるほど、執拗に女を追いまわす。

やがて財産を使い果たしてしまい。土下座して憐れみを乞うが、冷笑されるばかりである。行きずりの旅人にまで、女へのとりなしを哀願するようになった男は、ある日ついに狂乱して、女を殺害しようと決意する。


「アモク」

著者: ツヴァイク

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2010/04/27