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Vol.52「レ・ミゼラブル」 ユゴー

Photo 下記の作品案内は、代表的作家の生涯・主要作品が要領よく解説され、さらに充実の翻訳文献を付した、現在入手しうる最良の文学案内として好評を得ている世界文学シリーズからの一冊、「フランス文学案内」(朝日出版社)より引用しています。


レ・ミゼラブル les Misérables(1862)小説 5部10巻

ヴィクトル・ユゴー Victor Hugo18021885) 詩人・劇作家・小説家

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あらすじ

第1部「ファンチーヌ」

181510月、アルプス地方のディニュの町に、放免徒刑囚ジャン・バルジャンがやって来る。飢えから盗んだ一片のパンのために5年、4回の脱走のために計19年を徒刑場で過ごしたあとだった。黄色い旅券のためにすべての家から追われ、有徳のミリエル司教の家で暖かく迎えられても、すさんだ心はそのままで、銀の食器を盗んで逃げる。捕われて連れ戻されたジャンに、司教はこれもあげたのに忘れたのではないかと銀の燭台一対を渡し、憲兵に釈放を命じる。混乱したジャンは山中でサヴォワの少年の手から転げた40スー銀貨の上に半無意識的に足を乗せて奪い、あとになって自ら驚き、泣き、そのとき明確にミリエル司教の心を自分の心とする覚悟がつく。

1817年のパリ、お針子ファンチーヌは仲間と学生たちの遊びに加わるうち、初恋の相手と思った男に捨てられ、女児を生む。やがて暮らしを立て直すため故郷のモントルイユに戻る途中、モンフェルメイユの宿屋のテナルディエ夫婦に3歳の娘コゼットをあずける。夫婦は養育費だけしぼり取って、コゼットを5歳から女中に使った。

モントルイユの町は何年か前に現われたマドレーヌという人物の発明した黒玉加工業でにぎわい、マドレーヌ氏は辞退にもかかわらず市長に推された。着任した警部ジャベールはジャン・バルジャンだと疑う。フォシュルヴァンという老人が馬車の下敷きになったときジャベールは、ジャン・バルジャンという徒刑囚だけが馬車を起こす怪力があるという。だが、マドレーヌ氏は馬車を背中で押し上げ、老人を救った。

ファンチーヌはマドレーヌ氏の工場に働くが、やがてパリでの乱行が知れ、女監督はマドレーヌ氏の意志だと彼女を追放、養育費仕送りのためファンチーヌは売春婦となり、体をこわす。鬼警部ジャベールに捕まったことからマドレーヌ氏を知り、氏は女監督がしたこととはいえ、工場からの追放の責任を感じ、彼女を病院に収容、毎日見舞い、コゼットを連れ戻す約束をする。ジャベールはマドレーヌ氏を告発したが、当局からジャン・バルジャンは盗みで捕まり、終身刑を求刑されていると返事があり、厳格だが卑劣さのないジャベールはマドレーヌ氏に詫び、免職してくれと頼む。ジャン・バルジャンであるマドレーヌ氏は地獄の苦しみを味わう。間違えられた男は微罪なのに、前科者の再犯となると終身刑なのだ。一夜にして白髪になった彼は決意してアラスの町の法廷へかけつけ、自分がジャン・バルジャンであることを証明して、帰り、瀕死のファンチーヌを見舞うが、現われたジャベールの剣幕に、ファンチーヌは死ぬ。捕われたがすぐに脱走、再び逮捕される数日間に、ジャンは正当な財産63万フランの大金を銀行から引き出して森に埋めた。1823年のことである。

第2部「コゼット」

1815年6月18日のワーテルローの会戦の長く、細部にわたる回顧があり、モンフェルメイユの宿屋の主人テナルディエは戦死者の金品を奪うならず者で、死んだと思って動かした大佐が息を吹き返し、彼を恩人と誤解したことが示される。さて、182310月、ツーロン港で修理中の軍艦のマストから水夫が落ち、綱にぶらさがったのを、使役中の囚人が救助、その囚人がかえって海に落ちた。ジャン・バルジャンであり、死亡とみなされた。

だが、彼はクリスマスの夜、モンフェルメイユに現われた。大金を払って8歳になったコゼットを引き取り、悲惨から救う。パリにかくれ住んだジャンは55歳にして初めて愛を知り、コゼットを自分の娘のように思う。だが、パリ勤務となったジャベールの手がのび、パリの夜の中を追いつめられるが、人間業とは思えぬ力で高いへいを超えて身をかくす。そこは偶然にも彼自身の世話でフォシュルヴァン老人を庭番にしてやった尼僧院だった。老人の弟として庭番助手になる許可が出たが、一度外に出なくてはならず、死んだ尼僧の棺に入り、決死の脱出をする。今度入るのは簡単で、コゼットは給費生として教育を受け、数年を静かに暮らす。

第3部「マリウス」

パリのブルジョワ、ジルノルマン氏は18世紀風の元気な老人で、死んだ次女の息子マリウスを引き取り溺愛している。マリウスの父ポンメルシー大佐がナポレオンの忠臣だったのを嫌い、ジルノルマン氏は姿を見せたらマリウスの相続権を奪うとおどかしてあった。引退の身の大佐は、長年、日曜にパリに来ては教会で遠くから息子を眺めて涙ぐんでいた。

法科の学生となったマリウスは父の死後、はじめて真相を知り、祖父とけんかして自立、弁護士となり、貧困の中で、共和主義者のグループと親しむ。公園で老紳士に連れられた少女を見染める。汚いアパートの隣室におちぶれたテナルディエ一家がおり、さぎをやっていた。だまされて金を恵みに来た慈善家ルブランがあの老紳士なのを、壁の穴から見たマリウスは、さらにテナルディエが妻にその紳士の過去を知っていると語り、わなにかけようとするのを見て、警察にとどける。応待したのはジャベール警部であった。悪漢どもを集め、ルブラン氏をしばっておどしている隣室の男がテナルディエと名乗るのを聞いて、マリウスは父の遺言にあった恩人なのに驚き、合図のピストルを撃つ手がにぶる。だが、ジャベールは独自の判断で踏み込み、全員を逮捕するが、被害者だけは窓から逃げた。ジャベールも、マリウスもそれぞれ、この人物に疑いを持つ。

第4部「プリュメ通りの牧歌とサン・ドニ通りの叙事詩」

ブルボン王家を倒した1830年の革命がブルジョワジーによって中途半端にされ、王族のオルレアン家のルイ=フィリップを王座につけたにすぎないことが、当時の世相の分析を通じて示される。

慈善家ルブラン氏はジャン・バルジャンであり、マリウスが恋した少女はコゼットだった。判断のできないコゼットを修道女にしてしまうのを気づかったジャンは、フォシュルヴァン老人の死を機会に尼僧院を出た。

新しく始まった国勢調査のおかげで、老人の弟として記録されていたため、フォシュルヴァンの名で国民軍に編入され、やや安全になったせいもあった。プリュメ通りの新しいかくれ家の生活は幸福だったが、ジャンはコゼットが公園で会う青年(マリウス)に心を奪われているのに気づき、嫉妬に近い感情に悩まされる。マリウスはついにプリュメ通りの家をつきとめ、ジャンの留守にコゼットとことばを交わし、純真なふたりは初めから愛を誓う。だが気配を察したジャンはイギリスに去ろうとする。絶望したマリウスは、結婚を考えるが、当時の法律で25歳前は後見人の許可がいるので、祖父に会うが、情婦にしろといわれて再び決裂する。

おりから1832年6月5日、共和主義者たちはバリケードに立てこもった。痛快な浮浪児ガヴローシュの気転で、スパイに入ったジャベールが捕虜になる。サン・ドニ街のバリケードに友人を求めて行ったマリウスは、参加を決意、ガヴローシュがテナルディエの末子で捨てられた子と知り、コゼットあての別れの手紙をたくす。少年を死から救う意味もあった。だが少年は手紙を門前で会ったジャンに渡してバリケードに戻る。マリウスが死ねばコゼットを独占できると考えたジャンは、一瞬後に暗い気持ちになり、国民兵の装備で出ていく。

第5部「ジャン・バルジャン」

全市の反乱は起こらず、バリケードは各所で孤立した。ジャンは国民兵の制服のおかげで警戒線を通過、バリケードの中に入る。翌日、バリケード内の弾丸は残り少なくなり、政府軍の最後の突撃が迫る。スパイを処刑することになり、それまで人間を撃たなかったジャンが買って出る。マリウスは不快に感じる。だが、ジャンはひそかにジャベールを自由にした。最後の瞬間にマリウスは重傷で意識を失う。ずっと見守っていたジャンは彼をかついで下水道へ逃げ込む。

勤務に復したジャベールはセーヌ河畔でテナルディエを発見。尾行するが、下水口の鍵を持っている彼に逃げられる。苦闘の末に出口を見つけたジャンに、それと気づかずテナルディエは“殺人”の分け前を要求、鍵を渡す。出口に張っているジャベールに引き渡すためであった。だが、ジャベールはジャンの頼み通り、マリウスを祖父の家へ運ぶのを許し、結局、逮捕しない。彼は自分のしたことが理解できない。善は権力側にしかないという世界観がこわされ、他の考えもできない以上、愚直なジャベールは自殺しかできなかった。

マリウスを熱愛する祖父はがんこさも振り捨て、すべてを許し、6か月後、回復したマリウスはコゼットと再会する。ジャンは60万フランに近い現金をコゼットの婚資とする。ふたりの結婚後、ジャンは誠実さから徒刑囚だったことをマリウスに告白、マリウスはコゼットからジャンを遠ざけようとする。だが、ジャンのことを密告しに現われたテナルディエの口から、下水道を通って自分を救ったのがジャンなのがわかり、コゼットとふたりでジャンの家へかけつける。心痛から重病になっていたジャンはふたりに見守られて死んだ。

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解説

執筆年代は184547年、次いで亡命後の6061年である。バルザックの写実、シューの暗黒界趣味、当代流行の連載冒険小説の影響があるが、これは1815年から32年にわたる叙事詩であり、権力と富の偏在によりしいたげられた《みじめなひとびと》(レ・ミゼラブル)すべてを主人公とする点で、20世紀の大河小説の原型といえる。そう考えれば、なぜ、ミリエル司教、ワーテルローの会戦、軍艦、修道院、大下水道などについてそれぞれ数十頁にわたって歴史的に述べるのか、また主な事件のあった年の社会情勢について何章にもわたって論じるか、傍系人物の解説が長びくかを理解できる。

《この書物はひとつのドラマであり、無限を主人公としている。人間は端役である》(2部7章Ⅰ)。《地上に無知と悲惨がある以上、本書のような性質の本も無益ではあるまい》(序言)。人物は類型を示すのみで心理分析はなく、筋はあまり伝奇的で準備ができすぎているが、これは、フロベールによって1850年代に成立した近代的客観小説とは別なものとして理解し、評価すべきもので、作者の人道的社会主義の理念を壮大に展開した傑作である。


「レ・ミゼラブル」

著者: ユゴー

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2010/03/29