Vol.49「月と六ペンス」 モーム

|
月と六ペンス Hyperion(1919)長編小説
ウィリアム・サマセット・モーム William Somerset Maugham(1874-1965) 小説家・劇作家
……………………………………………………
解説
フランス印象派の画家ポール・ゴーガン(1848-1903)をモデルにして書いた長編で、1919年に出版された。
芸術至上主義的な態度ですべてを犠牲にして自分の道に突き進む主人公の天才画家の性格は、読者に強い印象を与えずにはおかない。発表と同時に注目をあび、モームの小説家としての地位を不動のものにした傑作である。
なおモームは中年男が妻子を捨てて自分の道に生きる姿を描いた劇「かせぎ手」(The Bread-winner)でも、この長編とよく似たテーマを扱っている。
………………………………………………………………
梗概
チャールズ・ストリックランド(Charles Strickland)は英国に住む平凡な40歳の株式仲買人で、模範的な女性である妻との間に一男一女がある。この一家が海岸へ1ヶ月ほど避暑に出かけたあとで、一足先に帰った夫から、別れたいという意外な手紙が、パリから妻のもとへ送られてきた。夫人の依頼で私(この小説の語り手で、モーム自身をあらわす)はチャールズを連れもどすためにパリへ行った。みすぼらしいホテルにひとり住んでいたチャールズは、妻子を捨てた不徳を認めたが、パリに滞在して絵を勉強し、画家になるのだといって、どうしても英国に帰ろうとしなかった。
5年後、チャールズの絵はパリで物笑いの種になっていたが、ただ一人オランダ人の画家ダーク・ストローヴ(Dirk Stroeve)だけは彼の画才を認めていた。ある冬、チャールズが重病で倒れたとき、ストローヴは英国人の妻ブランチ(Blanche)に、彼を自宅に引きとって看病するよう頼んだが、妻はチャールズを嫌ってことわった。しかしブランチは夫の熱意に動かされて、チャールズを引きとると、今度は親切に看護し、そのおかげで死線をさまよっていたチャールズは回復した。ストローヴはチャールズに自分のアトリエを提供すると、チャールズはアトリエを独占し、ブランチの心をとらえてしまう。ストローヴがチャールズに退去を要求すると、ブランチも一緒に家を出るといい出したので、自分の持ち金の半分を妻に与え、ストローヴ自身が家を出てしまう。
ストローヴはある日、妻が毒を飲んで自殺したことを知り、もとの自分のアトリエへ帰ってみると、そこにはチャールズの描いたブランチの裸体画があった。その絵の芸術的な偉大さに打たれたストローヴは、それをチャールズからもらい受けて、オランダへ帰る。
チャールズはブランチの死後、放浪のすえにタヒチ島にたどり着き、絵をかいて島民に与え、そのかわりに食物を得て暮し、17歳の土人娘アタと同棲するが、やがてハンセン病にかかる。彼は病をおかして大作を壁に描き続け、死後壁の絵を焼き払えとアタに命ずる。アタは命令を忠実に守った。チャールズの死後、彼の画才は世界に認められ、ロンドンに住む彼の先妻は、部屋に夫の絵の複製を飾って、有名画家の妻としてふるまっていた。
「月と六ペンス」
著者: モーム