Vol.43「ジャン=クリストフ」 ロラン
下記の作品案内は、代表的作家の生涯・主要作品が要領よく解説され、さらに充実の翻訳文献を付した、現在入手しうる最良の文学案内として好評を得ている世界文学シリーズからの一冊、「フランス文学案内」(朝日出版社)より引用しています。 |
ジャン=クリストフ Hyperion(<1904-12)小説10巻
ロマン・ロラン Romain Rolland(1866-1944) 小説家
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あらすじ
第1部「あけぼの」、「朝」、「青年」
ライン河中流にあるドイツの小都会に生まれたジャン=クリストフ・クラフトの祖父は、アントワープ出身の音楽家で、けんかのせいで故郷を離れ、この土地の大公の宮廷オーケストラの楽長であったが、創造的才能はなかった。父も宮廷オーケストラの一員で、いろいろな楽器をこなしたが、《世界中でもっとも音楽的と言われている民族によく見られる凡庸な完璧さを持っていた》。
だが、ジャン=クリストフには真の才能があった。音楽から物語の映像を、自然物から音楽的印象を受けるこの幼児の内面では創造的なものへの胎動があった。父は彼にピアノを教え、作曲もする天才児として宮廷へ押し出し、息子を食い物にしようという野望で子供の心を傷つけた。だが祖父の死、酒びたりの父の失職は、11歳のジャン=クリストフをオーケストラの一員として働かすことになる。
貧しいがゆえの屈辱、偉大なことをなしとげるのだという意識のあいだで、友情、初恋を経験して成長、父の死を迎え、人生は闘争と苦悩の連続であり、それによってだけ1個の人間となれるのだと悟る。2度の恋——最初は恋人の急死、2度目は裏切り——を失った彼は、遺伝的な悪徳である酒にひたるが、素直な民衆の心を持った伯父ゴットフリートとのふれあいで、立ち直る。
第2部「反抗」、「広場の市(いち)」
小市民的ドイツ世界の偏狭さに窒息させられたジャン=クリストフは、ドイツ公衆の音楽愛の感傷的偽りに反逆する。この国では理想主義は偽善に転化するのだ。公衆も彼の音楽を愛さず、敵対する。自我を曲げず、粗暴と見られるような行動に出て宮廷での地位を失う。兵士の横暴に苦しむ農民たちの側に立って、あらそいに巻きこまれ、罪を背負わされて国境を越え、パリに向かう。
わずかな知り合いをたずねてパリでの生活の道を探すジャン=クリストフのくそまじめさ、自尊心の直線的発露はパリ人士の笑いを買い、気を悪くさせ、その才能を見抜いているひとたちも素直に援助の手を伸ばさない。《フランス人は自分の考えを知るためには、まず隣人の考えを知りたがった。その上で同じように考えるか、あるいは逆に考えるかを決めるのだった》。
音楽、批評、文学、演劇各界人士の軽佻浮薄さ、社会主義者のいんちきぶり、金融業者の横暴などが痛烈に批判される(作者の判断とジャン=クリストフの視点がまったく無神経に混同されているので田舎出の外国人の過敏な反応を一面的に主張として押し出す結果になり、この作品自体が文壇、学界でパリに出たばかりのジャン=クリストフと同じに冷たい扱いを受ける原因のひとつとなっている)。
第3部「家の中」、「アントワネット」、「女友だち」
かつて故郷の劇場で偶然ことばを交わした質素なフランス娘アントワネットは、ひそかにクリストフを愛していたが、再会する以前に死に、その弟で若い詩人のオリヴィエ・ジャナンが、多くの敵に囲まれながら世に出はじめたジャン=クリストフの作品の賛美者として、彼の前に現われる。オリヴィエを通じてジャン=クリストフは、うわべの虚飾の下にある、真剣で静かで理想主義的なフランスの真の姿を知る。
ジャン=クリストフの旺盛な生命力と闘争を乗り越えて進む楽天主義と、オリヴィエのデリケートさ、懐疑主義を経過した知性の動きの敏感さは対照をなすが、ふたりとも、英雄的な理想主義と使命感に燃えていることによって、深く結びつき、共同生活を始める。
だが、やがて、オリヴィエは恋をし、結婚した。ジャン=クリストフにも女友だちや《美しく自由な共同生活》で結ばれた恋人ができるが、相手をも自分をも尊重するために、友情を保ったまま別れることになる。オリヴィエの妻ジャクリーヌは本能的に利己的で無道徳な女心(ジャン=クリストフへのたわむれの接吻)の持ち主で、長男を生んだあと、結婚生活は破綻する。
ジャン=クリストフをかばうオーストリヤ大使館員の妻グラチャは以前音楽を教えたイタリヤ人の少女であった。ひそかに彼を愛していた彼女は今では友情しか持っていない。逆に、ジャン=クリストフが愛を感じた時、彼女は夫の転勤でパリを去る。
第4部「燃えるいばら」「新しい日」
個人生活での悲しみの体験を味わいつくしたふたりは、社会主義に関心を向けるが、メーデーのデモに参加、弾圧の混乱の中でオリヴィエは警官に刺殺され、ジャン=クリストフは別な場所で警官に襲われ、剣を奪って殺す。彼は牛のように強力なのだ。
スイスに亡命して友人の医師にかくまわれたが、その若い妻アンナの素朴で純粋な精神と健康な肉体は、彼と離れがたく求め合ってしまい、ふたりは苦悩の末、別れる。絶望の底からジャン=クリストフは神を再発見し、さらに新しい創造へ進む。
年月が流れ、大作曲家として尊敬を受けるようになった彼は、未亡人となったグラチアに再会、ローマ、パリなど各地での交友が続くが、彼女の息子の病弱のために、結ばれないまま、彼女は世を去る。ジャン=クリストフはオリヴィエの遺児ジョルジュを精神的養子として愛した。1890年代生まれのスポーツ好きで懐疑を知らぬ世代の少年であった。やがてジョルジュはグラチアの娘アウロラと結婚する。ジャン=クリストフは、波瀾の果てに生涯求めて来た調和に達し、静かな喜びのうちに死を待つ。《生よ、栄えあれ! 死よ、栄えあれ!》
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解説
ペギーの〈半月手帖〉に発表されて評判となり、この雑誌を生きのびさせるに力のあったこの大作を、ロランは、1890年、ローマ留学中にすでに構想していた。『ベートーヴェンの生涯』(1903)に続いて発表され、主人公の生い立ちや、祖先がネーデルランド出身である点などにベートーヴェンの投影があるが、作者が描こうとしたのは、19世紀末から20世紀初頭にかけての《一時代の叙事詩》であり、懐疑主義と唯美主義を突き抜けて《生きるために生きる》生命力のヒロイズムであった。
その限りでは新しい文学思潮を動かすものだったが、ジードがいちはやく発表当時に“この本は翻訳での方がよく読まれるだろう”と指摘したように、文体の平板さが多くのフランス人には耐え難いほどといわれる。この非難にロランは《おまえの言葉は行動でなくてはならぬ!》を原則にしたと答えている(1931年版の序)。1920年に作者は10巻を4部に分類した。その内容からも、冒頭から末尾までくりかえし出現するライン河のイメージによっても、大河小説の最初の作品といえる。故郷クラムシーも川に面している。
「ジャン=クリストフ」
著者: ロラン