Vol.39「地獄の一季節」 ランボー
下記の作品案内は、代表的作家の生涯・主要作品が要領よく解説され、さらに充実の翻訳文献を付した、現在入手しうる最良の文学案内として好評を得ている世界文学シリーズからの一冊、「フランス文学案内」(朝日出版社)より引用しています。 |
地獄の一季節 Une saison en enfer(1873)散文詩
アルチュール・ランボー Friedrich Holderlin(1854-1891) 詩人
……………………………………………………
構成
9編からなる。短い序編、悪い血筋、地獄の夜、錯乱Ⅰ―狂処女、地獄の夫―、錯乱Ⅱ―ことばの錬金術―、不可能なもの、閃光、朝、別れ。形式上の観察からは、いたるところに繰返される要素として、過ぎ去ったものとなった反抗の激越な想起が見られる。
《かつて、記憶が確かだとすれば、ぼくの生活は祝宴だった、……》にはじまる序編は《ぼくは正義に対して武装した。ぼくは逃げ出した。おお魔女たちよ、おお悲惨よ、おお憎しみよ、ぼくの宝を預けたのはおまえたちにだった!》と反抗の発端を示す。
遠い先祖ゴール人の血筋の自覚、自己の黒人視など、非キリスト教的イメージへの自己同化が見られる「悪い血筋」は《白人たちが上陸する。大砲だ! 洗礼に屈服し、服を着、もりもり働かねばならない。ぼくは心臓にとどめを刺された。ああこんなことは思ってもいなかった!》という悲痛な対立を展開する。
「地獄の夜」は、おそらく興奮剤を使用した夜の幻想の《詩人たちと幻視者たちがやっかむ》ほどの豊かさを誇るが、幻想そのものは提示しない。
「錯乱Ⅰ」は、おそらくヴェルレーヌとの関係の精神的自序伝であり、地獄の夫とは、ランボー自身であろう。
「錯乱Ⅱ」はむしろ副題「ことばの錬金術」によって名高く、《ぼくの狂気のひとつの物語》である。《ぼくは母音の色を発明した!》《ひとつひとつの子音の形と動きを定めた。それから本能的なリズムによって、ひとつの詩的なことばを発明したと自慢したのだ。いつかはすべての意味に近づきうることばを。》また《簡単な幻想は慣れたものだった、とてもはっきりと、工場の代わりに回教寺院が見え、……》はランボーの詩法を語るものとしてよく引用されるが、実は第一段階に過ぎず、《次にぼくは単語の幻覚でもってぼくの魔術的詭弁を説明した! ついにはぼくの精神の混乱を神聖と思うようになった》と発展し、衰弱が語られ、《このことは過ぎ去った。今日ではぼくは美に敬礼するすべを知っている。》と結ぶ。「一番高い塔の歌」、「おお季節よ、おお城よ……」などの名高い定形詩6編がちりばめられている。
「不可能なもの」ではキリスト教会、西欧哲学への絶望と、純粋さへの絶対的憧れが、《ああ! 科学の歩みはぼくらにはおそすぎる!》の悲痛な調子で語られる。
「閃光」には《人間の仕事》という考えがあり、まだ抵抗を感じている。
「朝」はすでに回顧的で、「別れ」は《そうだ、新しい時というものはとにかく、とてもきびしい》と静かな出発を語る。《百姓》となって《ざらざらした現実》をいだくとも言い、《勝利を獲得した》ともいう複雑さは、この出発にさまざまな解釈を許した。全体的構造の解明が今後の課題である。
………………………………………………………………
解説
1873年4月から8月にかけて書かれ、中間の7月にベルギーで、ヴェルレーヌとけんか、拳銃で撃たれている。10月、ブリュッセルで500部印刷させたが、代金不払いのため、見本刷りしか世に出ず、“自作に不満で焼却した”という伝説を生んだ。1895年死後刊行。
1901年、一愛書家が初版500部を発見した。最後の作品と長年考えられていたが、戦後出たラコスト説は「飾画」(1886年刊行)をそのあとの1874年執筆とする。
「地獄の季節」
著者: ランボー