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Vol.30「ツァラトゥストラはこう語った」 ニーチェ

Photo 下記の作品案内は、代表的作家の生涯・主要作品が要領よく解説され、さらに充実の翻訳文献を付した、現在入手しうる最良の文学案内として好評を得ている世界文学シリーズからの一冊、「ドイツ文学案内」(朝日出版社)より引用しています。


ツァラトゥストラはこう語った Also sprach Zarathustra1883-85思想の書

フリードリヒ・ニーチェ Friedrich Nietzshe18441900) ドイツの哲学者・詩人

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内容

 故郷を捨てて山にこもったツァラトゥストラは、10年間孤独な生活を送ったのち、そのあいだに培った思想を広く世に伝えようとして下山する。途中キリスト教の聖者に出会って問答したのち、ツァラトゥストラは「彼はまだ神が死んだことを知らない」とつぶやく。 

この独白が、この作品の重要なモチーフとなっている。「神が死んだ」ということは、ヨーロッパ文化の根源をなしてきたキリスト教が、すでにその権威を失墜したこと、そのために人びとは一切の拠りどころを失い、ニヒリズムの支配する時代が来たということを意味している。つまり神を権威とする従来の思想と道徳等が、完全に否定されたのである。

そしてツァラトゥストラは、神の失われたこのニヒリズムの時代を超克し得るものは、「超人」のみであると説く。超人とは、天国が否定された今、神に代わってこの地上に真に新しい文化を創造する者である。神が死んだ現在、頼るべき何ものもない代わりに、もはやいかなる拘縛もない。超人は将来に向けて全く自由に自己自身を創造する。そしてこのたゆまぬ創造活動のうちに、生の意義を見出そうとするのである。そのような創造は「末人」(凡人)のなしうるものではなく、このためには、どんな苦難にも動ぜぬ凡俗を超えた精神力が要請される。すなわちツァラトゥストラは、真の創造を志す者は、ラクダのように忍耐づよい精神と、ライオンのように強固な意志とを兼ね備え、さらにつねに幼児のように純真無垢な心情を持ち続けなければならないと説く。そのような者こそ「超人」なのである。

ツァラトゥストラは次のように言う。「古い神々はとうの昔に死んでいる……このことは、ある一人の神自身の口から、それこそ神自身を無(な)みする語、すなわち『神はただ一人のみ! 汝、われのほかにまた神をもつなかれ』という語の告げられたときにすでに起こっていたのだ」

「すべての神々は死んでいる。今こそわれらは超人の誕生を切望する。……私は君たちに超人を教えよう。人間は超克されるべきものである。人間を超克するために君たちはいかなる努力をなしたか?」

「献身の理由を天空の彼方に求めようとせず、この地上にいつの日か超人の生まれ出る日を期待しつつ、自身を大地のために捧げようとする人びとを私は愛する。……今こそ人間は人間自身の目標を樹立すべき時である。今こそ人間がその至高の希望の種子を播くべき時である。……兄弟たちよ、私に告げよ、もしも人類にまだ目標がないとするならば、人類自体もまた、存在するとは言えないのではないか?……」

このように、前半のテーマは超人の思想である。後半では主として、いわゆる「永劫回帰」の思想が展開されている。この思想は、本書を執筆する前年に発表された『よろこばしき知識』(82、増補第二版87)にすでに表明されており、その第4書の中では次のように言われている。

「最大の重圧。——もしもある日、またはある夜、悪魔が君の淋しさ極まる孤独の境涯につきまとい、こう君に告げたとしたら、どうだろう——『お前はお前自身が生きてきたこの人生を、もう一度、いや、幾度となく繰り返さなければならないだろう。そこには新しいものは何もなく、あらゆる苦悩、快楽、思想、嘆息等、お前の人生における無数の大小の事件の一切が、お前自身に回帰してくるのである。しかも一切が同じお膳立てと順序とに従って——つまり、この蜘蛛も、あの木の間をもれる月光も、さてはこの瞬間も、この自分自身も、また同様に回帰しなければならないのである。存在の永遠の砂時計は、たえず巻きもどされる——それと共に微塵にすぎないお前もひとしく回帰するのだ!』

—— このような言葉を耳にした時、君は地上に輾転とし、歯ぎしりして悪魔を呪わないだろうか? それとも君はこの一瞬に恐怖におののき、悪魔に向かって、『お前は神だ、自分はかつてこれほど神々しい言葉を聞いたことがない!』と答えるだろうか。もしもこの思想が君を圧倒したならば、おそらくそれは現在の君自身の姿勢を変革し、粉砕するにちがいない。何をするにせよ必ず、『お前はこのことをもう一度、いや幾度となく繰り返すことを望むか?』という問いが、最大の重圧となって君の行方に立ちはだかるだろう!……」

——このように、「永劫回帰」とは、意味もなく、目標もなく、終焉もない人生が、そのままの姿で永遠に回帰することを意味する。まさに徹底したニヒリズムである。本書の後半では、この虚無の実相を直視し、「これが人生であったのか、よし、それならばもう一度!」と叫んで、虚無を超克する決意を固めるツァラトゥストラの姿が描かれている。

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付記

古代ペルシアの賢人で、ゾロアスター教の開祖と伝えられるツァラトゥストラの思想的な発展過程を、比喩や逸話によって描いたこの作品は、超人、永劫回帰などニーチェの根本思想を、格調高い詩的言語で語った哲学的散文詩ともいうべきものである。20世紀の思想界・文学界に、はかりしれないほど大きな影響を与えた。

全体は4部からなり、第1部は「神の死」を、第2部は「権力への意志」を、第3部と第4部は、「永劫回帰」をそれぞれ中心テーマとしている。第1部は1883年2月、イタリアのジェノヴァに近いラパロで、第2部はその年の7月にスイスのズィルス・マリーアで、第3部は翌84年1月に南仏のニースで、それぞれ10日程度で一気に書き上げられた。第4部は、その続編として84年秋に構想され、翌年2月にニースで完成された。

なお、本書には「万人のための、そして何人のためでもない書物」という副題がつけられている。

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「ツァラトゥストラはこう語った」

著者: ニーチェ

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2009/07/07