Vol.19 「失われた時を求めて」 プルースト
下記の作品案内は、代表的作家の生涯・主要作品が要領よく解説され、さらに充実の翻訳文献を付した、現在入手しうる最良の文学案内として好評を得ている世界文学シリーズからの一冊、「フランス文学案内」(朝日出版社)より引用しています。
失われた時を求めて A la recherche du temps perdu(1913-27)小説7巻16冊
マルセル・プルースト Marcel Proust(1871-1922) 小説家
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あらすじ
《長いことわたしは早くから床についた。ときには、ろうそくが消えるとすぐ目が閉じてしまって、“ほら眠るぞ”と思うひまもないほどだった。そして、半時間もすると、寝つかなければならない時間だという考えで、目が覚めるのだった。》
有名なこの書き出しは、半眠状態の長い描写を導入する。そして、この段落の末尾が、これから始まる長い作品全体の形式を要約している。《たいていはすぐにまた眠り込もうとはしなかった。夜の大部分を回想で過ごすのだった。コンブレーの大伯母の家でのわたしたちの生活、バルベック、パリ、ドンシェール、ヴェニス、それからまたほかでの生活を思いおこし、さまざまな場所やそこで知った人たち、その人たちについて自分で目撃したこと、話しに聞いたことを思い出すのだった。》
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第1巻 「スワン家の方」
第1部 「コンブレー」
話者マルセルが、幼時に毎年数カ月を過ごしたコンブレーの村(パリ西南約110キロ、人口約3,200のイリエの仮名)での、甘やかされた子供時代の幸福な思い出を中心とする。近所には、ときに訪問して来る教養の高い社交人スワンの家がある。スワンの父がマルセルの祖父の親友であったらしい。幼いマルセルは、スワンが素姓のよくない女オデットを妻にしたために社交界を閉め出されているのを、聞き知る。また、別の方角には、ゲルマント公爵家の中世さながらにいかめしい館があり、少年の空想をそそる。
第2部 「スワンの恋」
話者マルセルの生まれる前にさかのぼり、スワンを中心として、3人称体で展開する。はじめ何とも思わなかったオデットに魅力を感じ、情交を重ね、冷たくされ、不実の証拠をつかみ、しかもなお、振り捨てられなかったのである。
第3部 「土地の名:名」
冬のパリ、当時は公園だったシャン・ゼリゼで赤毛の少女ジルベルトに出会う。このスワンの娘にマルセルは子供じみた恋心をいだく。
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第2巻 「花咲ける乙女らのかげに」
第1部 「スワン夫人をめぐって」
ジルベルトへのマルセルの恋が中心となるが、妻オデットへのかつての情熱を忘れ果てているその当時のスワンも姿を現わす。結局、ジルベルトはマルセルを離れ、彼もやがてジルベルトを忘れた。
第2部 「土地の名:土地」
2年後、ノルマンディの海岸バルベックで、一群の美しい娘たちに出会い、そのうちのアルベルチーヌ・シモネに心をひかれるが、はぐらかされ、夏中マルセルは娘たちのあいだで迷う。ゲルマント公爵の弟シャルリュス男爵、そのおいであるサン=ルーと知友となる。
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第3巻 「ゲルマントの方」
ついにマルセルはパリのゲルマント公爵夫人のサロンを知る。アルベルチーヌと再会、仲が進む。オデットは、まだ公爵夫人から避けられ、成りあがりのブルジョワ、ヴェルデュラン家としかつきあえない。この一家は貴族階級へのねたみから、ドレフュス事件でドレフュス派となる。ユダヤ系のスワンも同じだった。
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第4巻 「ソドムとゴモラ」
旧約聖書の、同性愛のために神によって罰せられたふたつの町の名を題とする。やさしさと残酷の交代するシャルリュス男爵の奇妙な反応の理由がわかった“ソドムの男”だったのだ。男爵は若い音楽家モレルを愛し嫉妬に苦しむ。
アルベルチーヌと別れる気になっていたマルセルは、再びバルベックで娘たちのグループに再会するが、アルベルチーヌが“ゴモラの女”であるという驚くべき事実を発見し、かつてのスワンのように、逆に悩みに満ちた情熱のとりことなる。オデットの社会的地位は向上し、貴族的な社交界に入る。
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第5巻 「とらわれの女」
マルセルはアルベルチーヌとパリに居を構え、召し使いだけに接する生活に引きこもる。時代は1900年ごろで、ドレフュス事件は一時下火になっている。マルセル自身アルベルチーヌを捨てて自由を取り戻したいのだが、アルベルチーヌの悪習を思うとますます監視をきびしくし、ふたりの仲は耐えがたくなる。シャルリュス男爵に鼻先であしらわれたと感じたヴェルデュラン夫人は、モレルを彼と仲たがいさせて仕返しをする。マルセルとアルベルチーヌが和解した直後、彼女は姿を消す。
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第6巻 「消え失せたアルベルチーヌ」
マルセルは苦しみ彼女を探す。だが、戻って来る気になったときにアルベルチーヌは落馬事故で死んだ。マルセルは母とヴェニスへ旅行する。アルベルチーヌの同性愛の証拠が見つかるにつれ、やり場のない嫉妬に苦しむが、年月とともに忘却が始まる。
スワンは死に、再婚によってオデットはゲルマント公爵夫人のサロンにも迎えられる。さらに公爵家の甥サン=ルーとジルベルトが結婚、スワン家にゲルマントの血筋が結合することになる。だが、サン=ルーも同性愛者となっていた。コンブレーでジルベルトは、かつてのマルセルへの感情を打ち明ける。
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第7巻 「見出された時」
マルセルは療養生活に入り、やがて第1次世界大戦となる。サン=ルーは戦死し、シャルリュス男爵は老いさらばえながら、男色をあさってさまよう。
戦後、未亡人となったヴェルデュラン夫人はゲルマント公爵のいとこと再婚、新興のサロンとなり、ゲルマント公爵夫人のサロンの時代は過ぎた。もとのヴェルデュラン夫人に招かれたマルセルは、敷石につまずき、その瞬間、かつて母とヴェニスを旅行した時、同じようにつまずいたのを思い出し、過去の幸福にひたる。時間に食い荒らされたこれらの知った顔を時間から救うために、マルセルは芸術に救いを求め、小説を書こうとする。こうして、いわばすべては初めに戻るのである。
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解説
話者は作者と完全にダブっているが、登場人物は、病身の大ブルジョワとしてプルーストが知ったせまい範囲の知人たちの合成から成立している。ことばのくせ、衣裳まで細かい再現をめざす点で、写実主義の伝統の延長上にあるが、記憶の魔であることが特色である。各巻の導入部は、数十年にまたがる。とびとびの記憶がちりばめられるが、全体としては年代順に記憶が展開されるので、のちに言われる意識の流れそのものではない。
プルーストが考えていたのは、人間の感情例えば恋愛に、古典的な意味での首尾一貫はなく、また人間の性格も時間という因子によって変化するということだった。その点の綿密な追求が、自我の内部世界の探求という20世紀文学の出発点となった。
第1巻で、パン菓子マドレーヌを紅茶にひたして食べた瞬間に幼時のコンブレーでのおやつ、そして当時の幸福感のすべてがよみがえるという、《無意志的想起》が名高い。それは常に過去の幸福感と結びつく。外部世界に適応不能だったプルーストが19世紀文学と20世紀文学の橋渡しをしているのが、興味深い。
■フランス文学小事典