Vol.15「赤と黒」 スタンダール
下記の作品案内は、代表的作家の生涯・主要作品が要領よく解説され、さらに充実の翻訳文献を付した、現在入手しうる最良の文学案内として好評を得ている世界文学シリーズからの一冊、「フランス文学案内」(朝日出版社)より引用しています。
赤と黒 le Rouge et le Noir(1830)小説
スタンダール Günter Grass(1783-1842-)小説家
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あらすじ
スイス国境に近いフランシュ・コンテ地方の小さな町ヴェリエール(架空)のソレル製材所の三男ジュリヤンは、黒い目の色白のすらりとした美少年で、読書を好み、父や兄たちとまるで似ていず、いつもなぐられていた。
彼を愛したのはナポレオン時代の軍医だった老人で、ナポレオン崇拝熱を吹き込んだ。王政復古の時代に危険人物視されたこの軍医が残したルソーの『告白録』とナポレオンの『セント・ヘレナ日記』以外の書物をジュリヤンは信用しない。
その後、心の正しい老司祭シェラン師にラテン語と神学を学び、ラテン語の新約聖書を暗記して師を驚かせたが、何も信じていなかった。平民が実力で将軍にまでなれる時代はナポレオンとともに去り、いまや低い生まれのものにとって権勢と富は聖職によってしか得られないのだ。
土地の旧家の主人で町長のレナール氏が政敵と張り合うために、自分の子供たちに家庭教師をつける気になり、ジュリヤンに目をつけた。おそろしい大男が来て子供をぶつと思っていた世間知らずで優しいレナール夫人は、19歳にもならない女の子のような青年が現れたのでほっとし、青年の気位の高さと知力に感嘆し、一方ではその世間知らず(子供の教育を離れた話題になったとき、ジュリヤンは軍医から聞いた外科手術の話しか知らず、夫人はまっさおになった!)と貧乏に同情し、それと知らず恋心が芽生えた。
ラテン語の聖書のページを開いて最初の語をいえば、全部のページを暗誦して見せるジュリヤンの記憶力がレナール邸ばかりでなく町中の評判となった。冷静な計画と、情熱的ですなおな感動しやすい心との奇妙な複合であるジュリヤンは、レナール夫人のような美しくまた衣裳の立派な女性をそばで見たことがなかったので、びっくりしていたが、金持ち階級の常として自分のような貧乏人を軽蔑しているに違いないと考えて、自然な態度が取れなかった。それでも親しみは増していった。夫人はこれまでになくおしゃれに気を配るようになった。
夏の別荘で客の婦人と3人で庭で宵涼みをする習慣ができたが、ある夜ふと夫人の手にふれたのを、すぐひっこめられたことに怒ったジュリヤンは、次の晩に、絶対、夫人の手を握ることに決める。決闘をするようなすさまじい覚悟で、庭の椅子に座った彼は死ぬ思いだった。大時計が9時45分を鳴らしたとき彼は決心した。《10時が鳴るちょうどそのときにやるのだ。1日中、今晩すると覚悟していたことなんだ。できないなら部屋に上がってピストルで頭をぶち抜くんだ》。彼は実行し、逃げようとする手を捕え、息も絶えだえな夫人は彼に手を委ねる。暗闇で夫人の女友達は何も気づかなかった。
その夜、ジュリヤンは義務を果たした満足感で眠り込み、夫人のことなど考えなかった。翌日、ナポレオンの将軍が勝利を収めたのちに退却するなどありえなかったと考えた彼は、夫人の部屋へ午前2時に行くと通告するに至る。決死の覚悟でやって来た彼を夫人はついに拒めなかった。金持ちの女を征服した喜びと、それでもまた軽蔑されはしないかという空想から来る自尊心の怖れが彼の頭を満たしていたが、実はジュリヤンは深く夫人を愛するようになっていた。夫人は罪の意識におびえるだけかえって、ジュリヤンと過ごす夜は幸福と快楽にひたるのだった。
だが、やがて噂が立ち、おとなしい夫人は意外な勇気でレナール氏の疑惑はそらしたが、ことを収めるために、ジュリヤンはその地方最大の都ブザンソンの神学校に入る。食にありつくためだけに聖職を目指す俗物神学生に嫌われる。超然としてあまりに知的であることが反感を買ったのだ。冷酷なほど厳格な神学校長ピラール師は、反動的金権政治と結びつくジェズイット派に憎まれた誠実な人物だった。地位を利用して金を貯めないだけで、すでにいやな人間と見なされるのだ。
ピラール師とジュリヤンはやがて暗黙の友情で結ばれ、ジュリヤンは師を真の父と思う。迫害のため辞職したピラール師は、保護者であるラ・モール侯爵の世話でパリに近い司祭職を得、侯爵が信頼できる秘書を求めているので、ジュリヤンを推す。パリのラ・モール邸の大きな門を見て、暴動が起こったら暴徒に居所を教えるようなものだと考えるジュリヤンは、そんな考えやナポレオン崇拝をもちろんうまくかくした。内閣も左右する影の権力者グループの一員である侯爵は、大革命、亡命、王政復古を見て来た人間らしく、ジュリヤンの知力とエネルギーを認め、その気骨を愛した。これらの要素は、事なかれ主義の時流では上流階級の青年には見られなくなっていた。
田舎者らしさをかくさなかったのが逆に成功して、侯爵の長男で気のいいノルベール伯爵や、娘のマチルドに気に入られる。この娘は、宗教戦争の時代、16世紀こそ英雄的時代で、ナポレオン時代など問題でないと思っていた。16世紀のラ・モール侯爵が反乱をくわだて、名誉にも王命で斬首され、その首を恋人が抱えて埋めた事件が、彼女の夢を育てていた。
マチルドはジュリヤンの情熱的な顔と、秘めたエネルギーに興味を持ち、自分の結婚相手と目されるような貴族たちを愚劣に思い、それを態度に表したために、兄やその友人たちはジュリヤンを敵視するが、マチルドは、金も地位もないジュリヤンがその才気で大貴族の息子たちを恐がらせたのだとしか考えない。最初に手紙を渡したのも彼女だし、夜、窓から部屋を訪れるようにと書いたのも彼女であった。
ジュリヤンは、貴族たちが自分を笑い物にするためのわなではないかと思い、完全武装して乗り込む。ふたりとも頭だけで行動していたので、実際にふたりきりになると、困ってしまったが、なんとか恋人になることができた。だが翌日マチルドは、《見さかいなく》身を任せたのがくやしいと口走って、ジュリヤンを死ぬほど怒らせ、この怒りがまたマチルドの尊敬をかきたて、そしてジュリヤンが夢中になると、またマチルドは氷のように冷たく高慢になる……ジュリヤンに勲章を与えるための口実だけのロンドン派遣、革命予防策をめぐる権力者の秘密会議の要約を暗記しての外国への密使、と侯爵のジュリヤンへの信任は厚く犬に打ち込むようにジュリヤンを目にかける。
あるロシヤ貴族の忠告に従い、他の女性に恋するふりをして手本の手紙53通をせっせと写して順に送ることで、高慢なマチルドの心を完全にとりこにした。やがて彼女は妊娠、喜んですべてを父に打ち明ける。激怒した侯爵は、実際のところなすすべを知らない。マチルドのきっぱりした性格がすべての逃げ手を封じてしまうのだ。
ジュリヤンに取りあえず財産を与え、従男爵ド・ラ・ヴェルネの名を付け、騎兵少尉に任じ、ストラスブールに行かせる。喜んだマチルドは結婚を早めるよう要求したが、父侯爵はそれだけはきっぱりと拒み、2週間待つように命じる。《おまえも、わしと同じにジュリヤンを知らないのだ》。
少年時代からの夢の軍職についたジュリヤンは、やがて、すべてがだめになったというマチルドの手紙で、パリへ取って返す。マチルドの見せたのは侯爵の問い合わせに答えたレナール夫人自筆の手紙で、ジュリヤンは名家に入り込み、財産を目当てにその家の婦人を誘惑する男だと書いてあり、侯爵の娘にあてた手紙は、結婚は絶対認めないというものだった。それが当然だと叫んでジュリヤンは馬をとばし、夜に日をついでヴェリエールに戻り、ピストルを買い、おりから日曜だったので、教会に行き、ミサに参列中のレナール夫人を撃つ(この間ジュリヤンが何を考えたかは、全然書いてない)。
監獄で彼は自分の有罪を主張した。生命を取り止めたレナール夫人の嘆願、パリから来たマチルドの撒き散らす金と策動、美青年に対する婦人たちの同情にもかかわらず、公判でジュリヤンが階級制度について語ったのが陪審員たちの気を悪くさせ、死刑の判決が下る。
控訴をすすめに来るマチルドをうるさいと思ったジュリヤンも、レナール夫人の訪問を受け、あの手紙が後悔の気持ちから、ジェズイットの神父(ラ・モール侯爵に取り入ろうとした)に強要され、いわれるとおり書いたものであるのを知る。ふたりは真の愛の幸福にひたった。ジュリヤンが斬首されると、マチルドは遺言どおり山中の洞穴に葬ったが、16世紀のあの婦人のようにジュリヤンの首を抱いて持って行くのであった。自殺しないと約束したレナール夫人は約束を守ったが、彼の死の3日後に世を去った。
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解説
「1830年年代記」の副題を持つ本書は、1829年秋「ジュリヤン」の題のもとに着想され、1830年春に完成、現在の題名となり7月革命を間にはさんで印刷された。過激王党派の陰謀の細部など革命後の加筆と目されている。
素材は、1827年7月、前神学生アントワーヌ・ベルテが家庭教師に入っていた家の夫人を銃撃して傷つけ、翌年25歳で死刑になった事件である。ベルテは同夫人を誘惑、その後神学校に入り病弱で退学、別な家に教師として入り、そこの娘と関係して追われ、すべてを最初の夫人のせいだと考えた。
また、1830年1月当時の大臣のめいが幼なじみとロンドンにかけおちし、上流社会に衝撃を与えたが、帰国後その相手と口もきかず求婚もはねつけた。前者がジュリヤンの、後者がラ・モール嬢のモデルといえるが、両者の強烈な自尊心と、空想力から来る奇妙な行動性は全く作者固有の創造である。
“スタンダール氏のこの小説には何ひとつ架空のことはないのです”とスタンダールは別の場所でいっている。
事実、この作品の眼目である、革命の幻影におびえる貴族たちの反動政治、ジェズイット派の宗教的独裁、新興ブルジョワの金銭崇拝の均衡の上に立つ偽善的時代の政治状況が、さまざまな個人を巻き込むありさまの“年代記”という点では、架空のことはひとつもない。
だが後世はこの点を一般化して、この作品に、既成社会秩序に、反抗をかくして入り込もうとする自意識過剰な優れた青年のドラマを見た。すぐれた知性とめざましい勇気の結合に価値を置く大革命以来の伝統を確立させたジュリヤンという人物像に作者が溶け込んでいるのがロマン派的といえるが、現実描写と心理描写をはじめて一致させた、最初の近代小説として今日も新しい傑作である。
「赤と黒」
著者: スタンダール