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Vol.14 「ブリキの太鼓」 グラス

Photo 下記の作品案内は、代表的作家の生涯・主要作品が要領よく解説され、さらに充実の翻訳文献を付した、現在入手しうる最良の文学案内として好評を得ている世界文学シリーズからの一冊、「ドイツ文学案内」(朝日出版社)より引用しています。


ブリキの太鼓 Die Blechtrommel1959)長篇小説

ギュンター・グラス Günter Grass1927-)ドイツの詩人・作家

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あらすじ

  精神病院に入れられた主人公オスカルの回想という形でこの長篇は始まる。1899年の10月のある日、ジャガイモ畑で焚き火をしていた主人公の祖母アンナ・ブロンスキーは、逃亡中の男に懇願されて大きなスカートの中にかくまう。彼はヨーゼフ・コリヤイチェクといい、警察に追われている放火犯であった。このときアンナは身ごもり、ヨーゼフと結婚して主人公の母アグネスを生むことになる。ヨーゼフは名前を変えて筏師となって身を隠すが、14年後に警察に突きとめられ、川に飛び込んだまま行方不明となる。

  1923年、アグネスは看護婦時代に知り合ったラインラント出身のアルフレート・マッツェラートと結婚する。その立ち会い人であるアグネスの従兄ヤン・ブロンスキーは以前からアグネスと恋愛関係にあり、この結婚第一日目から二人は密通していた。こうして翌年の9月に主人公オスカルが誕生する。オスカルは生まれたときから精神の発育が完成しており、「この子には商売を継いでもらおう」という父の言葉や、「3歳になったらブリキの太鼓を買ってやろう」という母の言葉を完全に覚えていた。

  3歳の誕生日に約束どおりブリキの太鼓を贈られたオスカルは、自らの意志で地下室へ転落し、それが原因で成長が止まり、身体は95センチの3歳のままで頭脳や精神は人より3倍も成長するようになる。あるとき金切り声をあげてガラスを粉砕する能力があることがわかる。オスカルは、時計のガラスや電球やコップやビールビンや香水のビンなどを叫び声や歌で粉々にすることができた。

  1934年、父マッツェラートはナツィスに入党し、制服を着て外出することが多くなる。母とサーカスを見に行ったオスカルは、音楽道化師で小人たちのリーダーであるベブラと知り合い、意気投合する。オスカルは、サーカス場を照らす三個の電球を破壊する技を見せて認められるが、契約してほしいという要請は断る。「五月の原」ではしばしばナツィスの演説会が開かれる。演壇の下に隠れたオスカルは、ブリキの太鼓を叩いて鼓笛隊のリズムを狂わせ、ファンファーレ隊の演奏をウィンナワルツに変えさせてしまったりする。

  母と従兄のヤンとの密会は続いている。オスカルは自分の本当の父はヤンだと確信する。ある雪の日、ヤンがショーウィンドウ越しにルビーの首飾りを見ている。オスカルは音を発しない叫びをあげてガラスに穴を開ける。ヤンはその穴からルビーの首飾りを盗み取り、それをオスカルの母にプレゼントする。

  聖金曜の休業日にオスカル一家とヤンはバルト海に出かける。沖仲仕が海に沈めた腐乱した馬の頭を引き上げ、馬の口からたくさんのウナギを取り出すのを見た母は、激しく嘔吐する。ウナギも魚も金輪際食べないと言った彼女は、2週間ほどすると、憑かれたように魚を食べ始める。彼女は妊娠3カ月であった。彼女は黄疸と魚の中毒で死ぬ。

  3年ぶりにオスカルは小人団のリーダー、ベブラに会う。オスカルは母の死を報告し、「小人が母を殺した」という。オスカルは同行のロスヴィータ夫人に惹かれて、グラスに声でハートの形と署名を刻んで進呈する。

  第二次大戦の発端となる1939年のドイツ軍ポーランド侵略の日、郵便局が攻撃され、ポーランド郵便局員であったヤンは連行されて銃殺される。オスカルは自分のせいだと思う。

  オスカルの家に、同じアパートの3階に住むトルツィンスキーの娘マリーアが住み込む。彼女はオスカルと同じ年の16歳で、オスカルの初恋の人となる。オスカルは子ども扱いされるが、同じベッドに寝たときに、一度だけ男女の関係ができる。のちにマリーアはオスカルの父と結婚し息子クルトを生むが、オスカルはクルトが自分の子どもだと確信する。

  オスカルは前線慰問団の指導者となったベブラ大尉とロスヴィータに再会し、団員としてドイツ占領軍慰問のためにパリへ行くことを承諾する。オスカルはロスヴィータと愛し合う。が、終戦の日、ロスヴィータが直撃弾にやられるのを目撃する。

  終戦とともにオスカルはソ連軍が侵入した故郷ダンツィヒに帰る。ナツィス党員であった父は、階級証を飲み込もうとして発覚し、ソ連兵に射殺される。父親の埋葬のとき墓穴に太鼓を投げ入れて「成長しよう」と決意する。が、そのとき義弟クルトの投げた石つぶてに当たって墓穴に落ち、病臥する。

  回復すると、故郷(祖母のスカートの中)に別れを告げて、継母のマリーアとともに、彼女の故郷西ドイツのデュッセルドルフへ移住する。石工、美術学校のモデルなどをして暮らすうちに、ジャズ演奏家として「たまねぎ亭」に出演して成功する。

  アパートの隣室に住む看護婦ドロテーアに恋をして、思いを遂げようとするが失敗する。後日ドロテーアの屍体が発見され、オスカルが犯人とされるが、責任無能力者と見なされて、精神病院に入れられる。この病院はオスカルにとって祖母のスカートの中と同じ避難所であり、ようやくたどり着いた目的地である。彼はこの病院で心安らかに生活するが、二年後真犯人が逮捕されて、釈放の可能性が生じたため、せっかくたどり着いた避難所から出て行かなければならない。折しも三十歳の誕生日で、イエスの受難を暗示する記述をもって物語は終わる。

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付記

  この作品は、「戦後ドイツの小説界の空白を一挙に埋めた」と評価され、作者は「トーマス・マンの真の後継者」、「現存する世界の最も偉大な作家のひとり」と称賛された。

  犯罪、破廉恥、不倫、不具などありとあらゆるマイナスイメージを背負った主人公が、ガラスを粉砕する声とブリキの太鼓と冷徹な知性を武器に、ナツィスの台頭、第二次世界大戦の勃発と終戦、敗戦後の混乱という未曾有の激動の時代をしたたかに生きて行く。

  主要な舞台であるダンツィヒは、ドイツが第一次大戦の敗戦によって失い、国際連盟の管理下に置かれていた自由都市で、第二次大戦の勃発と同時にドイツ軍が最初に侵入した都市であり、世界大戦、ポーランド問題、ユダヤ人問題、ナツィス問題等を考える上でまたとない重要な都市である。

  この作品は、作者の故郷でもあるこの都市を舞台とした小説『猫と鼠』、『犬の年』とともに『ダンツィヒ3部作』を成しており、特にノーベル文学賞受賞の対象となった。また、作者自身が脚本を担当し、シュレーンドルフ監督によって映画化された『ブリキの太鼓』は、1979年度カンヌ映画祭でグランプリを獲得した。


_ 「ブリキの太鼓 1~3」

著者: グラス

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2009/02/09