Vol.1 「ガラス玉遊戯」 ヘッセ
下記の作品案内は、代表的作家の生涯・主要作品が要領よく解説され、さらに充実の翻訳文献を付した、現在入手しうる最良の文学案内として好評を得ている世界文学シリーズからの一冊、「ドイツ文学案内」(朝日出版社)より引用しています。 |
ガラス玉遊戯 Das Glasperlenspiel(1943) 長篇小説
ヘルマン・ヘッセ Hermann Hesse(1877-1962) ドイツの詩人・小説家
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あらすじ
この作品は、200~300年後の時代を想定して書かれた未来小説である。2200年の時点から振りかえってみると、20世紀は凋落の時代であった。それは、個人尊重の名のもとに、人びとを自由を超えて放縦へと導いた時代であり、さらに、政治や道徳の頽廃、あるいは恐るべき戦争などによって、多くの人びとを享楽生活に逃避させ、時には虚無の深淵へと追いやった暗黒の時代であった。
やがてこの荒廃の中から、現代の文化の再建を志ざす人びとが現れ、カスターリエンと呼ばれる「教育州」を建設した。カスターリエンは、学者国家で、反世俗的な宗教的雰囲気を持ち、結社的な階級制度によって統制されている。ここに属する人は、学問の自由を享受しうるが、禁欲生活を送り、精神に奉仕する義務をもつ。このカスターリエンの高度の精神的遊戯が「ガラス玉遊戯」であって、これは、音楽と数学にもとづく特殊な符号と式とを用いて、あらゆる学問や芸術の内容を理解したり表現したりするものである。(発明者は、人道主義者で音楽理論家のペロットであり、文学や符号のかわりにガラス玉を用いたため、ガラス玉を用いなくなってからも、この遊戯はガラス玉遊戯と呼ばれている)。これを行なうには、均衡のとれた高度の知性と感性とが必要なため、この遊戯は、神の礼拝と同様に神聖なものと見なされた。そして、カスターリエンの試みが、着々と成果をあげるにつれ、遊戯は世界中で注目されるようになり、遊戯に用いられる符号は広く国際的に採用されるようになった。この遊戯はカスターリエンの非常に盛大な年中行事として、名匠によって全国に公開される習わしとなった。
第3代目のガラス玉遊戯の名匠ヨーゼフ・クネヒトは、ラテン語学校生であった12歳の時に、カスターリエンの12名の指導者の一人である古代音楽担当の師匠に認められて、カスターリエンの名門校に入学した。4年の課程を修了した彼は、休暇を利用して、「遊戯」入門の準備のために、瞑想の練習と旅行とを命じられた。そののち彼はさらにヴァルトツェルの上級学校へ進学した。この学校は、カスターリエンの他の学校とくらべて最も芸術的な学校であり、ここでは、ほとんどすべての生徒がガラス玉遊戯の研究に没頭していた。しかし音楽を非常に愛好していたクネヒトは、最初は、ガラス玉遊戯に対して、冷淡な態度をとっていた。この学校で、彼はまた、臨時聴講生デスィニョーリと知り合った。デスィニョーリは、カスターリエンの「高慢なスコラ派的精神」をきびしく批判した。クネヒトは、彼の意見に反撥を感じながらも、強く惹かれずにはいられなかった。自己の危機を自覚したクネヒトは、音楽と瞑想に没頭することによってそれを克服した。
ヴァルトツェルの卒業とともに、修業時代は終わった。さらに3年間の自由研究ののち、幹部の一員として認められた彼は、マリアフェルスのローマ教会に、ガラス玉遊戯の教師として派遣され、カスターリエンとヴァチカン法皇庁との友好条約締結に力をつくし、これを成功させた。そして、ヴァルトツェルに帰った彼は、そこで、荘厳なガラス玉遊戯の祭典に参加したが、遊戯の最中に、2代目の名匠トーマスが病気でなくなったため、3代目の名匠に選ばれた。そのとき彼は、40歳になっていた。
名匠の位についた彼は、忠実に職務にはげんだが、次第に、カスターリエンと、ガラス玉遊戯を脅かす危険を自覚するようになった。形式的に洗練されすぎたガラス玉遊戯は、生命を失いつつあり、名人気質、虚栄、表面化の弊害がきざしていた。その頃、カスターリエンのために設置された政府の委員会の一員として、旧友デスィニョーリが彼を訪ねた。マリアフェルスの牧師ヤコープとの出会いやデスィニョーリとの交際によって、次第にカスターリエンの外部の世界に惹かれていった彼は、カスターリエンとガラス玉遊戯の危機を説いた廻状を幹部たちに送る一方、広く世間の人びとが真理に対する畏敬を失わないように、カスターリエンの奉仕を世俗の学校においても成就したいと願い、世俗の学校で教育の任につきたいと首脳部に上申した。しかし、この希望は拒絶された。デスィニョーリから、息子ティトーの教育を依頼されたのを機に、彼は、カスターリエンを去って、ティトーのもとに赴いた。しかし、到着の翌朝、山の湖水に飛びこんだティトーを追って冷たい水に入ったクネヒトは、心臓麻痺で溺れ死ぬ。ティトーは悲しみの中で、クネヒトの死が自分の生涯を大きく作り変えるであろうという厳粛な予感に襲われて、身をふるわせた。
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解説
1931年から11年の歳月をかけて書かれたこの大作は、形式的には伝統的教養小説であり、内容的には、未来小説またはユートピア小説ともいうべきものである。全体は、「ガラス玉遊戯」とそれが行なわれるカスターリエンとを説明した序章、主人公ヨーゼフ・クネヒトの伝記をなす12章の本文、クネヒトの残した13篇の詩と3篇の履歴書などから成り、これらをヘッセが編集した形をとっている。
序章においては、ヘッセ独自の現代文明批判がうかがわれる。しかし『ヴィルヘルム・マイスター』の「教育州」を思わせるカスターリエンは、現代文明を否定する理想郷ではなく、その良質の部分を生かし、発展させることによって、頽廃した現代文明を克服して確立された精神の国である。ここに、ヘッセのヒューマニズムに基づく人間精神の発展への願いと信仰が込められている。ヨーゼフ・クネヒトは、きびしい精進ののちにガラス玉遊戯の名匠となりながら、カスターリエンの生活の真実性を疑い、ついにこの国を去るが、これは、カスターリエンの精神を否定したためではなく、むしろカスターリエンの精神に最も忠実に生きようとしたためにほかならない。これは、ヘッセ自身が切実な問題として体験した、国家と真の国家精神との対立を象徴的に表現したものである。なお、「クネヒト」(「下僕」の意)という名は、ゲーテの「マイスター」(「親方」の意)に対して、意識的に選ばれたものである。
「ガラス玉遊戯」 |
■老年の価値/ヘッセ著