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Vol.2 「ペスト」 カミュ

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下記の作品案内は、代表的作家の生涯・主要作品が要領よく解説され、さらに充実の翻訳文献を付した、現在入手しうる最良の文学案内として好評を得ている世界文学シリーズからの一冊、「フランス文学案内」(朝日出版社)より引用しています。

 

 


ペスト la Peste1947) 小説

アルベール・カミュ Albert Camus19131960) 小説家・劇作家・評論家

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あらすじ

194…年、アルジェリヤのオラン市にペストが突発した。ねずみの大発生と急速な死者の増加を前に、絶滅したはずのこの疫病に懐疑的だった市当局も、上部からの命令で、ペスト汚染地域を宣言、市を閉鎖する。混乱の中に日常生活は続き、排他的な利己主義とせつな的な快楽主義が横行する。医師リューは救護作業に命を賭ける。好人物の老人グランや、事件の数週間前に市にやって来た人づきあいはいいが身もとの知れないタルーが協力する。 

タルーは実に何に対しても希望を持っていない男だったが、神を信じないままに、神なしの聖者になろうとしているのだった。ペストと戦うことも彼が強く主張したのだった。パルヌー司祭は、ペストを人間に反省と自覚の機会を与える神の恩寵だと考える。リュー医師はその考えにはまったく賛成できない。悲惨と苦痛を前にして、何もしないのは《狂人か盲人か卑怯者》だからだ。神を信じるなら手をこまねいていよう、けれども、リューとしては自分の能力の範囲でペストと戦い、果てしのない敗北となろうとも、それは《闘いをやめる理由にはならない》。タルーに、リューは《聖者に対してよりも敗者に対して連帯感を持つ》と語るが、ふたりは暗黙のうちに理解しあえたと感じ、深い友情で結ばれる。

多くの悲惨に心を痛めたパルヌー司祭は信仰は捨てないが、救護隊に加わってリューたちに協力、ペストに冒されて死ぬ。感染し、絶望状態だったグランが持ち直し、やがて多くの犠牲者を出したペストは、最後にタルーを倒してから、やって来た時と同じに不意に消えた。リューが獲得したものは、ただ《ペストを知ったこと、そしてそれを思い出すということ、友情を知ったこと、そしてそれを思い出すということ、愛情というものに理解がつき、いつかそれを思い出すだろうということ》だけ、つまり《知識と記憶》だけだった。ペスト発生直前に、療養のために転地したリュー夫人死亡の電報がやって来る。

戒厳令の解除。市門の解放に市民の喜びは大きい。リューは初めてこの記録の筆者であることを明かすが、3人称で語るのをやめない。これは、勝利の記録ではないのを“彼”は知っている。《聖者たりえず、天災を受けいれることを拒みながら、しかも医者となろうと努めるすべての人びと》がいつかまたやり遂げねばならないであろうこと、そのことについての記録なのだ。なぜならペストは絶滅はしないからだ。

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解説

死をまぬかれないすべての人間は、その点について他人の助けも神の救いも期待できず、自分自身の内面に追放されているという根源的世界観からすれば、カミュにとって幼児の病死と、戦争で殺されることとは、人間に課せられた苦痛という点で同じ重みを持つ“悪”であり、この悪を悩み、それと戦い続けることに、すべての価値を賭けるのがカミュの態度である。したがってペストに襲われたオラン市とは、人間の世界そのものにほかならない。だが、1943年占領中に書かれ、戦後まもなく大きな感激をもって世に迎えられたこの作品は、独軍占領という疫病に対する抵抗を象徴するものとして受けとめられた。もちろん、それがすべてではない。


Photo_3 ペスト
著者:カミュ

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2008/09/25