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2009年7月15日 (水)

KYな英語・第三弾

KYという言葉が日本で幅広い世代に知られるようになったことの一因には、政治家に対して使われたり、政治家本人が互いに使うようになったことが挙げられると思います。政治家が「KY」と言われる場合は、状況にもよりますが主に、「国民感情・有権者の意識とズレている」、「政局が読めていない」などの意味を持ちます。「政治におけるKY」に相当する英語としては:

aloof

があります。<aloof> は人やその態度などが、よそよそしい、うち解けない、距離がある、という意味です。たとえば、2004年のアメリカ大統領選挙では、当時現職のブッシュ大統領と闘った民主党の大統領候補、ケリー上院議員が <aloof> であると批判されました:

John Kerry was criticized as being aloof and unable to connect with people.   
(ジョン・ケリーは親近感が持てない、大衆と「つながる=心に訴えかける」ことができない、ということで批判された)

The term aloof was an effective attack on John Kerry's character, as it contrasted with George W. Bush who was positioned by his supporters as an "ordinary guy," more in touch with people.
aloof という言葉は、ジョン・ケリーの人格(人物・性格)に対する効果的な攻撃となった。 自陣営によって 「普通の男」として位置づけられ、 より人々の心をつかんでいる、 とされたジョージ・W・ブッシュと (aloof なケリーは) 対照的であった)

政治家にとっての connect の大切さは、は2007年8月の Express Yourself、 『Are You Connected? 「つながっている」政治家は信頼できる政治家』で扱っておりますので、以下のURLでバックナンバーをご覧ください↓
http://blog.asahipress.com/express_yourself/2007/08/are_you_connect_b7d9.html

人と人が互いに <connect with(心と繋がり、訴えかける)> し、<in touch with(人々の心を掴む)>ことは、アメリカ社会ではとても大切なことです。 ただ単に物理的に人と「繋がる」「触れる」ことを意味するだけではありません。<connect with ~> は、「心」と繋がる、という意味ですから、「親近感が持てる」「ハートを掴む」ことと同義だと理解するとよいでしょう。 <in touch with ~people, etc.)> も人々の心に触れている、人々と繋がっている、心を掴んでいる、という表現です。 「KY」 も、その場にいる人々の「心」 が 「読めているか・いないか 」 ということですから、<connect with ~>、<in touch with ~> が「できていない人」、つまり:

Someone who is out of touch with people around him(her). 
(直訳:周囲の人と心が繋がっていない人)

Someone who is unable to connect with others.
(直訳:他者と心が繋がらない人) 

となります。このような英語表現は他にも以下のものがあります:

socially insensitive
直訳すると「社会的に鈍感」となるこの表現は、「社交センスが鈍い」という意味で使われます:

"My fianceis so socially insensitive. He kept eating non-stop and did not even try to join the conversation at my friend's party last night."
(「私の婚約者は超KYなのよ。昨晩なんて友だちのパーティーでひたすら食べ続けているだけで会話に参加しようとすらしなかったのよ」)

fiance 正しくは e にアクセントがつきます。

clueless
会話でよく使われる表現で、「理解(力)や知識がまるで無い」という意味です:

"The new manager is clueless about our team. He needs to learn how things are run around here."
(「新しい部長はまったく僕らの部署のことをわかってない(KY)ね。彼はここの流儀を勉強する必要があるね」)

tone deaf
もともと「音痴」という意味ですが、「その場の『調子』から外れている人」ということで、out of touch, insensitive (無神経)という意味で「KY」的に使われることがあります:

Many voters feel that today's politicians are tone deaf, unable to see what is it that people really want.
(多くの有権者は今の政治家は鈍感・無神経(KY)だと感じている、人々が本当に何を求めているのかが見えていないのだ)

ただこれはやや「きつい」印象を与える口語表現なので、使う時には注意が必要です。

KY」に対応した英語を考えて来ましたが。このため「KYな人」に対しては必然的にネガティブな表現、「人の気持ちに対して敏感である」 ことは、 日本でもアメリカでも当然ながら重要視されていることがよくわかりますが多くなります。では逆に、「KYな人」を好意的に捉えるような表現はないのでしょうか?

そんな表現が、私が好きなジャズ・アルバムのタイトルに使われています。 エリック ・ ドルフィーの最高傑作と言われる  "Out to Lunch!"です。<out to lunch> は、文字通り「昼ご飯を食べに行っている」という意味もありますが、状況によっては「まるでこの場にいないみたいに空気が読めていない人・ズレている人」という意味で使われます。ただ、「KY」を全否定している訳ではありません。「ランチに行ってしまっている」わけですから「もうお手上げ、やれやれ」といった諦念がただよい、「ズレ」を是認しているような感さえあります。

エリック・ドルフィーは、様々な新しい手法を編み出し、ジャズ界に革命を起こした人です。既存のものからあえて「ズレ」ることによって誰も聞いたことがないような新しい音楽を創造することができるのだ、という音楽家の想いが   "Out to Lunch!"  というタイトルに込められているように思います。アドリブの魔術師だったエリック・ドルフィーは、伝統的な音楽の価値観からすれば、時として <tone deaf> では、 と思われるほど、調子っぱずれの音を奏でることもあったかもしれません。しかし、彼のように確かな技術と経験(そして才能)を持ったアーティストが引き起こす「ズレ」や「狂い」は全て必要不可欠な「ズレ」と「狂い」、言ってみれば、完全な技術と感性に裏打ちされ、「計算し尽くされたKY」なのです。

ドルフィーは、こんな言葉を残しています:

"When you hear music, after it's over, it's gone in the air.  You can never capture it again."
(「音楽を聴いて、終わってしまえば、それは空気の中に消えてしまう。それは永遠に再び捕らえることができないものになる」)

KY」。つきつめて考えると、人の心も、宇宙の真実も、神の音楽も、我々人間にとっては「とらえることができない」ものなのではないでしょうか。本来「読めない」ものだからこそ、そこから何かを「読みとりたい」と願う。それこそが常に新しいものを創造しようと求めて止まない人間のエネルギーの源なのかもしれません。