やがて嬉しき外国語
~村上春樹さんの英語スピーチ~
最近、日本人の話す英語を聞いて感動しました。エルサレム賞を受賞された村上春樹さんのイスラエルでのスピーチです。
イスラエルは今政治的にとても不安定な土地です。激しく意見が対立する問題について言及するにあたって村上氏が選んだ言葉は、どれをとっても的確でした。
これほど素晴らしい英語を操る村上さんですが、15年ほど前に出版されたエッセー集、『やがて哀しき外国語』(講談社)では、自分は外国語学習に「向いてない」とおっしゃっていました:
「僕は傾向的、性格的に外国語の習得に決して向いてはいないし、とくに年を取れば取るほど、その『向いてなさ』が自分の中でより顕著になってきた気がする」
(『やがて哀しき外国語』講談社168p)
今回のスピーチは村上さんにとって外国語である 「英語」 で行われ、しかも賞を授けたイスラエル市民の耳には心地よいとは言えない意見を述べたもの。それでも聴衆は村上さんにスタンディング・オベーションを送り、表情は、心からの感動を表していました。
村上さんの言葉は、紛争に明け暮れ、自らその状態を倦(う)みながらも、戦争をせざるを得ないパラドックスに囚われたイスラエル人の心に、しっかりと届いたのです。
心に届ける、つまり「伝える・伝わる」= convey とは、「外国語」を習得する最大の目的です:
■Haruki Murakami's speech conveyed his message most effectively.
(村上春樹のスピーチは、彼が(伝えたい)メッセージを何よりも効果的に伝えた)
外国語に「向いてない」と書いた村上春樹さんが、その15年後、政治的に複雑で繊細なニュアンスを「英語で」正確に伝えることができた秘密は『やがて哀しき外国語』で明かされています。次の三つの点が「外国人に外国語で自分の気持ちを正確に伝えるコツ」として挙げられています:
(1)自分が何を言いたいのか、自分ではっきり把握する。ポイントをまず短い言葉で明確にする。
(2)自分が理解しているシンプルな言葉で語る。
(3)大事な部分はできるだけパラフレーズする(言い換える)。ゆっくり喋る。できれば簡単な比喩を入れる。
村上春樹さんのスピーチを見て、この三点を検証してみましょう。まず、スピーチのオープニングの一行から:
■I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.
(http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html)
(私は今日、イェルサレムに作家としてやってきました。それはつまり、職業的な嘘の紡ぎ手としてであります)
この一文は短くシンプルな文章ですが、スピーチを始める一行としては完璧といっていいでしょう。いきなり「私は嘘つきです」と言われれば、誰だってびっくりします。でもドラマチックな物言いで聴衆の心をぐっと掴むという点では、とても効果的です。
小説家はフィクションという虚構、言わば 「嘘」 を紡ぐ人です。でも村上さんは、「本当のことをお伝えしましょう (Let me tell you the truth.)」と続けます。ここでは「本当のこと」、言いづらいことを伝えにきたと宣言しているのです。村上氏は、授賞式に出席する 「理由」 を次のようにはっきりと表現しています(コツ1):
■I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.
(私は離れたところから静観するよりもここに来ることを選びました。 見ないままでいるよりも、 自分自身の目で見ることを 選んだのです。 何も言わないよりはあなた方とお話をすることを選びました。)
choose「選ぶ」という言葉を繰り返すことで、イスラエルに来るにあたって、自身が悩み、重要な価値判断をいくつも下したことが伝わってきます。 また、choose、speak、say といったシンプルな言葉が使われています(コツ2)。 これは前回の Express Yourself であつかったオバマ大統領の言葉の選び方とも通底します。
しかもスピーチのタイトルは “Always on the Side of the Egg”(「常に卵の側に」)という <metaphor(比喩)> です。パレスチナの人々を壊れやすくもろい <egg(卵)> 、 イスラエルを堅牢な <wall(壁)> に喩(たと)えています。これは三つ目の「コツ」、「大事な部分は言い換える (paraphrase the important part)」に当たります。
比喩によって「言い換え」たこの部分は、村上さんにとって「大事なところ」です。一番伝えたいことは、彼自身が常に「弱い者の味方 (always on the side of the egg)」であるということです:
■Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.
(高く強固な壁と、それに当たりうち砕かれる卵の間で(どちらかの側に立つなら)、私はいつも卵の側に立ちます)
しかも、この部分は文章を見るとクオテーションマーク(引用符)でくくられ、強調されています。声に出したときに抑揚が出るように工夫されているのです。
村上春樹さんが 「外国人と話す」 時の 「コツ」 のひとつとして「ゆっくり喋る」ことを挙げたのは、彼が「書き言葉」だけでなく、「話し言葉」も大事にしているからだと思います。
ポイントをまとめてみましょう:
■When speaking about what you would like to convey the most, speak slowly and articulately, preferably using metaphors, so that your message will be received correctly.
(あなたが一番伝えたいことについて話すときは、メッセージが正確に伝わるように、ゆっくり、はっきりしゃべり、願わくば比喩を使いましょう)
<articulately> とは、 「はっきりと発音された」という意味ですが、これは「発音」に限ったものではありません。自分の「考えや意見」が「明確に表現された」ことも表します。つまり、「きちんと発音・発話」することは「きちんとメッセージを伝える」ことと同じなのです。それは、「発音がいい」ことと関係はありません。発音がネイティブである必要はまったくないのです。
村上春樹さんはネイティブ・イングリッシュ・スピーカーの発音ではありませんが、それでも彼の英語はわかりやすく、美しい。それは「伝える」ということの基本原則が守られているからです。
自分が言いたいことをまずよく理解し、簡潔に表現する。さらに分かりやすくするために比喩を用いる……こういった「外国語習得のコツ」は、すべて「小説を書くコツ」と同じである、とも村上さんは書いています。つまり、英語上達のコツは、自分の国の言葉、日本語をきれいに、きちんと話すためのコツと同じなのです。
村上春樹さんの英語スピーチは、英語を学ぶすべての日本の人に希望をあたえるものでした。日本語・英語を問わず、「伝える」ためにしている努力は、「やがて嬉しき外国語」としていつかきっと報われることでしょう。








