前の記事へ |  トップページへ |  次の記事へ

2009年2月18日 (水)

「いかがなものか?」にダウト(doubt)!

ごきげん如何ですか? 英語でいうと <How do you do?> です。この「如何(いかが)」という言葉、最近国会中継などでよく耳にします:

「それはいかがなものか」

英語ではどう言うのでしょうか?

元々「如何(いかが)」は「如何にか(いかにか)」が転じたもので、「どうして、なぜ」という疑問、推量を表す言葉です。昔は、かなり強い疑問を表現する場合もあったようです。 ここから 「いんちき・にせもの」を表す「いかさま」や「正体がはっきりしない・怪しい」という意味の「いかがわしい」といった表現が生まれていきました。

政治家が、政策や、対立する政党の方向性に対して「いかがなものか」と言った場合、あなたはどう受け止めるでしょう? 「疑念がある」、「批判的である」という「否定的な意見を持っている」ことをオブラートに包んで言っていると思われることでしょう。ただ、「いかがなものか」という表現で肝心なのは、その人がどのような「具体的理由 ・ 姿勢」で「批判」しているかは特定できないという点です。 後から、 発言の「具体的内容」に関して問いただされても「そういう意図で言ったのではない」と逃げ口上を打つことができます。このような「逃げる余地」を残す表現のことを、英語で evasive と言います:

The Prime Minister's answer was evasive when asked about the timing of tax raise.
(増税の時期について聞かれた際の首相の答えは具体的言及を避ける曖昧なものだった)

evasive には「責任回避、言い逃れ、つかみどころがない」、「逃げてゆく」 という意味があります。「いかがなものか」もまさに evasive な表現で「ブレ」が多く、 振れ幅も広く、 「言葉の芯」をj捕らえようとすると逃げてゆく難物です。 では英語を手がかりに「如何」の正体を探ってみましょう。

たとえば、

Do you think the current cabinet can push through the economic stimulus plan to save Japan from this economic  downturn?
(今の内閣が日本を経済不況から救い出すための経済刺激策をやり遂げることができると思いますか?)

push through   やり遂げる、やり通す、完成させる、成功させる

という問いに対し、「それは疑わしい、実現できるかどうか怪しい」を表すには次のような表現があります:

I doubt it. (それはどうだか。それは疑わしいね)
I'm dubious about that. 
 (それは怪しいと思う。疑わしいと思う)
That's questionable. (それは疑問だよ)
I'm suspicious about that. 
 (疑問でいっぱいだよ。それはかなり怪しいね)
I wonder if I could go along with that.
 (その考えにはついて行きかねる。 同意しかねる(~かどうか
      疑問だ))

また、ややフォーマルな表現で

I have some reservations.
その考えにはついて行きかねる。同意しかねる(~かどうか疑問だ)

というものがあります。これは

I have a reservation for two people at 19 o'clock.
(19時に二名の予約があります)

のように、レストランなどの「予約」が一般的に知られている使い方ですが、この<reservation>、元の意味は「何かをとどめておく」「留保する」なので「レストランの席」と同じように、自分の「気持ち」を「とどめる」ことにも使えます。<I have some reservations.> は、「政府が経済刺激策を成立させるかどうかに関して、まだ自分の中で疑念があるので、それが完全に払拭されるまでは同意しかねる」という返答です。

上に挙げた例文の中でも一番「婉曲」な <reservation> は、 欧米の政治 ・ 外交の場面でよく使われる表現です。ところ変わっても「政治的表現」は、よく言えば「含蓄のある」悪く言えば「どうにでも後から内容を訂正できる」ようにできているようです。

「如何」は「物事の様子、有様」を問う「ニュートラル」な言葉でしたが、「問う」から「疑問をはさむ」へと、徐々に批判的な色彩を帯びていったようです。 この一見「婉曲」 に見える「如何」という言葉が持つ底知れぬパワーを感じたのは、去年の8月、半蔵門の国立演芸場で恒例となっている桂歌丸さんの長編怪談、『江島家怪談』を聞いたときのこと。

三遊亭円朝師匠がこのお話を作った明治初頭の頃、着物の生地をきちんと縫い合わせるのではなく「糊(のり)」で貼り合わせただけで、一見立派に見えてその実、水に濡れたとたんにバラバラになってしまうような「インチキ商品」を売りつける詐欺商法が横行したそうです。このようなインチキな着物のことを当時は「如何物(いかもの)」と呼んだそうです。

『江島屋怪談』は、花嫁衣装に「如何物」を売りつけられた娘が、花嫁行列で雨が降ってきて「如何物」を着ていたことがバレてしまい、婚約を解消されたことを苦に身投げをしてしまうというストーリー。娘の母親が、「如何物」を売りつけた呉服屋である「江島家」に復讐するのが物語のクライマックスです。

この母親になりかわった歌丸さんが、全身を振るわせて江島屋への恨みをうったえる場面の 「いかもの!」 という言葉の切っ先の鋭いこと鋭いこと!演芸場の椅子から飛び上がるほど怖かったです。「まがいもの」「にせもの」をつかまされたことへの深い怨念と怒り。また、罪の無い庶民を傷つける詐欺的商法に向けられる円朝師匠の鋭く批判的な視線には、落語とはいえ立派なジャーナリズム精神が見いだされます。

「いかもの」は現代で言えば「にせもの」、あるいは「いんちき商品」ですが、こういったものを売りつける「いかさま師」は英語では charlatan が一番近いでしょう。 charlatan は17世紀フランスで、 各地を転々としながら人々をペテンにかけてゆく、 まさに「いかさま師」を表した言葉から英語に転じ、現代でもよく使われます。

いつの時代も、落とし穴のたくさんある厳しい現実社会を生き抜く庶民にとって、物事の真偽に疑いを持ち「問い」を発することは、自分の身を守るためには大事なことなのです:

In order to survive through the harsh realities of society, it is important for the ordinary citizens of all times to protect themselves by being dubious and questioning the truthfulness and falsehood of things.

最後に、万葉集から「いかが」(いかにか)を使った句を引用しましょう:

「二人行けど 行き過ぎがたき 秋山を いかにか君が ひとり 越ゆらむ」
(『万葉集』第2巻 大伯皇女(おおくのひめみこ))

「二人で行ったとしてもなかなか越えられない秋の山を、あなたはどうやってたった一人で越えているというのでしょうか」と寂しく険しい山越えを心配する飛鳥時代の句です。今日本は、雇用、医療制度、年金と、構造的な問題が山積みになっているのに加えて、政治の機能不全という、とてつもなく険しい山を乗り越えていかなければいけない「未曾有の危機」にあります。以上のように見てきますと、「いかがなものか」という「問い」は本来、政治に対して大きな疑問を抱いているのに聞き届けてもらえない日本の有権者が発すべきものなのでは、という思いにいたります。

ここらで「それは如何なものか!」という言葉を「ためらうことなく」、われわれ一般市民の手に奪還する、というのは「いかが」でしょうか?

How about winning back the expression I doubt it to the  hands of us ordinary citizens without reservation?