<間>は英語でも日本語でも<ビミョー>?
さてさてさて。
話を始めるときに使う、意味のない言葉や表現がありますが、日本語の「さて」は英語の well にあたります。ここに少し驚きが入る場合は My my my 。こちらはむしろ、「これはこれは」に近いかもしれません。
慣れない外国語で話すとき、お目当ての単語が思いつかず「う~、う~、え~っとぉ」と日本人が使う「音声(?)」を発してしまいますが、日本語でもとうとうと話すことは難しいです。
「とうとうと」は英語でどのように言えばいいでしょうか。それが「美しさ」を伴う場合は、こうなります。
「彼はとうとうと話した。」= He spoke eloquently.
eloquent は「雄弁な」「感銘を与える」という意味で「言葉」や「話し方」に用いられることが多い単語です。ギリシャ文明において「修辞学」= rhetoric という弁舌の美しさを競う学問の一派=ソフィストたちが隆盛を極めた時代がありました。
これは言葉 の表面的な出来・不出来を競うだけで、浅薄(せんぱく)、要する に「詭弁(きべん)」に過ぎないとプラトンに批判され、現代でもそのような認識が広く共有されています。
でも、実はソフィストたちは偉大な遺産を西洋文明に残しているのです。今、民主党大統領候補としてにわかに注目されているバラク氏も、その「巧みな演説」が人気の秘密だと言われています。
この「巧みな」には、 sophist =「ソフィスト」からくる形容詞 sophisticated =「洗練された」、 をあててもいいかもしれません。
言葉の「美しさ」、それこそが「知性」の輝きであるとしたソフィストがいなければ、英文学の最高峰と言われるシェイクスピア作品だって生まれなかったかもしれないのです(なんてったってシェイクスピアの醍醐味(だいごみ)はハムレットの独白などの「スピーチ」ですからね)。
eloquent に話すことができること、それはつまり教養豊かでエレガントな紳士淑女であるためには必要不可欠な条件なのです。
発された言葉に「人を動かす力があり、美しい」場合、
an eloquent speech =「すばらしいスピーチ」
といった形で使われます。「えー、あのー」が少なく、区切れがなく美しい話し方の場合は eloquent でいいのですが、「休み」なくただひたすらしゃべり続けている場合の「とうとうと話す」は
He spoke endlessly.
(彼はえんえんとしゃべっていた)
He spoke without a single break.
(彼は休みなく[ひとつの break =「中断」もなく]しゃべっていた)
などと言った方がよいでしょう。
私は昨年までラジオのパーソナリティをしていました。番組を聞いていた母は、「えー」と「あのー」が多いからこれからは一切言うな、と言いました。母は若い頃テレビやラジオで司会などの仕事をしていましたから、
My mother is very picky about the way I talk.
(母は私の話し方についてとても「うるさい」)
ここでの「うるさい」は「騒々しい」の noisy ではなく、 「細かいことを指摘して、 小言がましい」を意味する形容詞 picky を使うとよいでしょう。 pick は「つまむ」という意味ですが、細かいことをまるでピンセットでつまんで指摘するように「うるさい」という感じを表しているのでしょう。
母の「小言」を実現するのはとても難しいことでしたが、「えー、あのー」を言わないように心がけると、そのぶん、「間」ができて視聴者の方に「次はどんな言葉が出るのか、楽しみです」とか「七尾さんの間が独特で好きです」と言われるようになりました。
母は偉大なり、です。
「間」は、幅広い日本語ですね。ただの「空間」というだけでなく心の「ゆとり」から「時間」まで。
これに近い英語ですと space もしくは room 、 があるのかもしれません。 もちろん、「間」を space や room に訳すことはあんまりありませんが、その背後にある「考え方」= the idea behind it が似ているような気がします。
たとえばつきあっている2人の男女がケンカをしているとします。
常に自分が何をしているのかチェックされることに業を煮やした彼女が言います――「窒息しそうよ!すこしは自由にさせてよ!」
I feel like I can't breathe!
I need some more room of my own!
suffocating(窒息する) としなかったのは、 英語だときつすぎる印象を与えるからです。後半部分は直訳すると「もっと自分の部屋がほしい」ですが、別に同棲しているマンションが狭くて自分の部屋がほしいと主張しているわけではありません。
「もっと自由にさせてほしい、自分の時間がほしい」と、抽象的な「空間(room/space)」がほしい、と訴えているのです。
room はこのようにただ「部屋」というだけでなく space 、 つまり「空きスペース」「余剰な空間」という意味でも使われ、それは比喩的に「ゆとり」ともなるんですね。
は心の叫びなのです。これは「間」を重んじる日本家屋にある日本人の「こころ」と通じるものかもしれません。
一つ一つの必要な動作の間に、それこそ「間」をおくことで相手への敬意を表す「茶道」の動きや、落語や歌舞伎などで重要な「間」そして「間合い」。
「間」は和洋を問わずそれは「文化」にとってとても重要な感覚なのかもしれません。







