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2007年1月24日 (水)

英語だと気ままな「寅さん」が自己主張?

「寅さん」がNHK BSで毎週末放送されていますね。

「寅さん」は、時の人気女優のハートを次々と射止め、なんのフォローもなく立ち去り、なおかつそのことを一切責められない--そんな「和製ジェームス・ボンド」寅さんは、各地で出会う「マドンナ」に対して自己紹介するときにこんなことを言います。

出身大学、勤め先、財産、そういうものは一切なし。
                         
風の向くまま気の向くまま、年中旅暮らし、  
 
まぁそういったところじゃないか。 

これを英語で訳すのは至難(しなん)の業(わざ)です――なぜ難しいのでしょう? あえて訳してみましょう。
  
まず、出身大学、勤め先、財産、そういうものは一切なし

Ya_2No college education, no career, no property, no nothing.

つづいて風の向くまま気の向くまま、年中旅暮らし。(これが難物!)

Ya_2As the wind blows, as my wish leads (takes) me, always traveling.

風の向くまま
As the wind blows は文字通り「風の向くまま」ですが…?! 
日本語と英語で違うニュアンス~

英語でも「成り行きに任せて」という意味はありますが、この場合の wind は、より自然現象としての「風」の触覚的イメージが強い。英語はもともとイギリスの言葉ですから wind は本来、荒野をふきすさぶ「荒々しい風」です。「風の向くまま」の「風」はもっと楽しくてのんきな風です。→日本と西洋の「自然」についてもう少し掘り下げてみました

気の向くまま
as my wish leads me と訳しましたが…?!
~「私」の気の向くままに?!~

われながらダメ訳ですね~(笑)。「寅さん」感が台無しです。

英語でもっとも大事なのは「誰」を明らかにすること。発話者個人の「人格」が問題になってきます。「気の向くまま」の「気」は一体「誰の」「気」なのかを明らかにしないといけないのです。英語では「私は<私の><意思>が導くところに向かう」という、なんだか自己主張の強い「寅さん」になってしまいますね(笑)。

本当の寅さんは、寅さんの「意思」で能動的に「動いている」というより、「世間」に流れる「雰囲気」のようなもの、あるいは「さだめ」に「動かされている」のです。

欧米の考え方で言えば、定住することができない寅さんの運命はとても酷なもので、なぜ彼はそれに対して戦いを挑まないのか、ということになるのかもしれません。でも、彼が運命を受け入れ、自然体に生きる姿に日本人は心を打たれるのです。


年中

always と訳しましたが…?! ~英語にはない時間の感覚~

「年中」の意味は「一年の間ずっと」= all year long ではなく「いつも」「常に」ですから always を使いました。

ただ、 always を使うと「永遠に」という意味合いが強くなり、「過去から未来へと続く直線的な時間の流れ」が出現します。その流れの中のどこかの期間に、継続して反復して起こるなんらかの現象を always と言いますが… なんだかしっくりきません。

「年中」は「いつも」であってもけして「永遠」ではないし、過去や未来にさかのぼるわけでもない。むしろ、「今」に近い感覚。でも、 Now とは根本的に違います。西洋文明の Now は、直線的な時間=歴史のなかの「定点」であり、「一瞬」です。

「年中」の例でもわかるように、日本人にとっては、過去も未来も漠然と「今」の中に放り込まれているようなところがあります。歴史学者の阿部勤也氏が比較・研究されたことですが、欧米では個人がおのおのの「歴史的時間」と「人格」を持って生きています。これに対し、日本人は「世間」という共通の「時間」の中に生き、個人の「人格」は問題にならず、一人一人は「世間」の中で「場」を与えられているだけで、その「場」の集合体が最も重要なのです。

すこし話がむずかしくなりましたが…

ここで、英語と日本語の「時間感覚」の違いを示す、いい例を紹介しましょう。寅さんも旅先で「以後よろしくお見知りおきを!」と言いますが、 「これからも(今後とも)よろしくお願い申し上げます」。 これは英語には存在しない挨拶(あいさつ)ですが、なぜでしょうか? →次回にお答えします

寅さんが生き、そして生かされている場所は「世間」です。

俗に言う「寅さんのアリア」、車寅次郎の口上には「世の中ってもんは」「世間ってのはよ」という言葉がよく出てきます。この「世間」と「社会」はどう違うのでしょうか? 私は「気の向くまま」を英語に直してみるとどうもしっくりこなかったことにヒントがあるような気がします。つまり…「世間」とは人が「生かされる」場所であり、「社会」とは「生きる」場所なのではないでしょうか? このあたり、次回にもう少し掘り下げてみたいと思います。