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2007年1月10日 (水)

“globalization”はさくらんぼのいいとこどり?

Happy New Year! 

あけましておめでとうございます。

あなたはどんなお正月を過ごされましたか? ここ数年の私はFMラジオで朝の番組のパーソナリティをしていたので、大晦日、元旦の別なく仕事をしていました。時には、大晦日のカウントダウン特番を終え、ホテルで2時間ほどの仮眠をしてから4時過ぎにまたラジオ局に入る、なんていう非人間的(inhumane)な年もあったくらいです。

ところが、ご存じの通り、テレビの年末年始は特別番組の目白押しで、ニュースの時間帯も大幅に変更されます。そんなわけで私もほぼ5年ぶりのいわゆる「お正月」をおかげさまで過ごすことができました。姉と2人で北海道まで30日から3泊4日のスキー旅行にもでかけました。ということで三が日は白銀のゲレンデ。
 
ところで「三が日」は、日本特有の慣習(a strictly Japanese custom)です。

アメリカ合衆国の Holiday Season は、クリスマス前の感謝祭から年明けにかけてですが、むしろ中心は「お正月」よりもクリスマス前からクリスマスにかけて。カウントダウンはシャンパン片手に盛り上がりますが、「おごそかな」というよりはむしろパーティー気分で盛り上がるもの。

「おごそかな」 これを英語で言うとこんなふうに表現できます:

「清々しい・おごそかな日本の元旦」 
= a serene Japanese New Year's morning

「おごそかな」は、 solemngrave といった形容詞が訳語にあたりますが、 この場合お葬式などの「悲しい」「厳粛(げんしゅく)な」といった趣(おもむき)のある言葉になるので、宗教的な「粛々(しゅくしゅく)とした」雰囲気や、元旦のぴんと張り詰めたような「清々しい」雰囲気を表すにはあまり適さないと思います。日本の元旦の雰囲気を表現するには、むしろ「清い」という意味合いの強い serene を使うとよいでしょう。

クリスマスはむしろその逆です。西洋文化圏でクリスマスを過ごされた方ならよくおわかりかと思いますが、街は楽しそうであるものの、やはり「おごそかな」「聖なる」夜なのだな、ということが「ひしひしと」感じられます。

「ひしひしと」は英語にしにくい!

「ひしひし」も英語にしにくい擬態語です。皮膚から浸透して、魂にまで染み渡るようにじっくりと、かつ強く「感じられる」という表現は、なかなか英語ではないように思います。たとえば、雪が「しんしんと」降る、ですとか、「じわじわと」染み渡る様子ですとか、「ゆっくりと」でも「確実に」という感覚は日本の気候風土がはぐくんできた感覚であり情緒なのかもしれません。

肉体的に、「感じる」ことを表す表現では

feel(know,believe) ~ in one's bones
(~を骨で感じる(知る、確信する))

があります。

例)「彼の苦しみが僕には伝わってきた」 
I felt his suffering in my bones.

でもこれは「ぴんときた!」といった意味合いで使われる表現ですので、たとえば gut instinct という「第六感」として使われる表現と近い。なので、同じように「骨」や「体」を使っているからといって「骨身に染み渡る」ですとか「五臓六腑(ごぞうろっぷ)に染み渡る」といった日本語の「強く感じる」とは質的に異なる表現なのです。

その「三が日」感を、これまた「ひしひしと」感じたのが1月3日に車を運転したときのこと。車が少ない! 首都高で「慢性的な交通渋滞 (chronic traffic jam)」と言われている個所を走っているのがなんと、私の車だけ! しかも普段なら朝のラッシュ時。

見渡す限り6号線に車がいなぁい!
No car on Route 6 as far as the eye could see!

(英語でも「見渡す限り」という表現はありますね、「目に見える限り」という言い方をします)。本当にお正月は物流から人にいたるまですべての動きが止まるんだなぁと思いました。

さて、そんな2007年、平成19年はどんな年になるのでしょうか。

ニューヨークタイムズ紙は毎週末に社説(columns/editorials)と投書( Letters to the Editor =「編集者への手紙」という言い方をします)をまとめて掲載した、 Weekly Review なるものを出していますが、その新年版に目を通していました。やはり、みんなの関心事は…

globalization

「自由貿易」= free trade がクリントン政権以来、繁栄を約束する時代の潮流としてもてはやされましたが、今では間違いなく悪役の代名詞のように言われています。

特に反響の大きかった社説を Weekly Review に再掲載し、 それへの読者の反響を合わせて掲載する特集のやり方をニューヨークタイムズ紙はよく行います(私は、これは双方向の議論が成立して非常によいやり方だと思います)。

私が目を奪われたのは Globalization's Winners and Losers という社説に対する投稿の数々。そのタイトルからして、思わずため息をつかせられます。

つまり「グローバリゼーション」(もはやグローバルな資本主義と同義になっていますね)は「勝ち組」と「負け組」を生むものであるという認識はアメリカでも同様なのです。

多くの人が、 free trade によってアメリカの製造業の中心が中国やインドに奪われてゆき、アメリカの中産階級の雇用が失われてゆくこと(job loss)に危機感を抱いていることがわかります。

日本では戦後最長の好景気が続いていると言われている一方で、なかなかどうして賃金は上がらないままで、消費の調子がよくありません。それはアメリカでも同じこと、「これからは『賃金停滞の時代』= the era of wage stagnation だと覚悟しなければいけない」とある読者は書いていました。

また、「グローバリゼーションが万民に富をもたらすと考えるのは「大局を見つめるのを拒む」= refuse to see the big picture 行為で、 まさに「現実逃避」= a form of denial にほかならないと。

denial は興味深い単語です。 deny =「否定する」と同じ語源を持ち、 denial もまた「否定」という意味ですが、英語で使われる場合は「現実逃避」「現実を直視しない」「現実をかたくなに認めない」という意味で使われることが多いので覚えておくとよいでしょう。

たとえば、

Ya_2Regarding the issue of an aging society, the Japanese government is in a state of denial.
(高齢化社会の問題に関して、日本政府は現実を直視していない) 

となります。

「持てる者と持たざる者」の格差がさらに拡大してゆく来たるべき(あるいはすでに来ている)「格差社会」。この「持てる者と持たざる者」を英語で言うのは簡単、 haves and have-nots です。 have という動詞を「持てる者」という形で名詞化して、複数形で用います。

「競争社会(society of competition)」そしてグローバル資本主義の推進者は、たとえば「能力のある者が正当に評価される」といった多くの利点を挙げますが、その「競争社会」の象徴とも言うべきアメリカ合衆国で、「そういった『利点』は

Ya_2cherry-picking over isolated instances

である」という声が強くなってきているのは非常に興味深いことです。この cherry-picking over isolated instances を説明すると、

cherry-picking =「さくらんぼ摘み」
over =「~について」
think over =「~についてよく考える」の over と同じ)
isolated instances =「例外的事例」
isolated =他の流れから「孤立している」/ instance =「例」)

となります。なんとなく意味がおわかりいただけるのではないでしょうか。いいところばっかりとって全体が見えなくなってしまう、例外的事例をとって、あたかもそれが全体像であるかのように主張しているので、説得力がない、ということです。

日本語にするとどんな慣用表現が当てはまるかな…と考えたのですが、いろいろ思い浮かぶもののどうもしっくりこない(読者の方から慣用表現を教えていただきました。文章の最後にございます)。

同じ植物つながりで「木を見て森を見ず」ということわざがありますが、これはいかがでしょう? でもやはりちょっと違う。

「臭いものに蓋(ふた)」も、意味としてはそれほど違わないのですが、「さくらんぼ摘み」とはちょっと意味合いが変わってきてしまいます。そうやってうんうん考えたのですが…結局は「いいとこどり」なのではないか?!という結論にたどり着きました。

さくらんぼ、りんご、ぶどう、何だっていいものばっかりとって、虫食いのもの
は捨ててしまいます。それってやはり「いいとこどり」ですよね?

まぁ、発想を転換してみると、どんな困難な状況にあっても、物事のよい面だけを見て前向きにやっていくというのは、たとえばそれが人生だったら悪いことではないとは思います。問題はその対象が「社会」であった場合。やはりよいところばっかりに目を向けても置き去りにされてしまう「現実」があるわけですから、その現実の denial はいけません。

今年も、この連載で「英語」から日本と海外の「現実」のなにがしかの essence (日本語では「エッセンス」と、 少しオシャレな感じがする言葉ですが、英語の意味は「本質」です)を「摘み取」っていけるように精進してゆく所存です。よろしくお付き合いください。
 
Ya_2Thank you for reading, and wish you a year of many‘fruits’!

(読んでくださってありがとう、実り多き年でありますように!)
fruit を使った表現のほかに、 productive year とも言います。日本語で「生産的な年」と言うとなにやら味気ないですが、英語ですともっと「実り」感があります。

読者からのおたよりcherry-picking

cherry-picking over isolated instances ですが、「いいとこどり」で、確かに間違いないのですが、愛媛県のある著名な農家の方から聞いた表現がサクランボのニュアンスに、より近いのではと思います。

「ヤマモモの選り食い=ヤマモモノヨリグイ」というものです。

ヤマモモは高知県の県木で、街路樹や公園に植栽(しょくさい)されています。初夏の味で野性味あふれるヤマモモの果実を採取すると、やはり美味しい実から食べられていくようで…というさまを表しています。

(N.Fさんからのお便りから)

いろいろな英語があるように、いろいろな日本語があります。日本語にこんなステキなことわざがあったんですね! もしなにか思いついたら、あなたもお便りをお寄せください。この場をお借りしてN・Eさまには改めて御礼申し上げます。
どうもありがとうございました。