その「立場」はどの「立場?」
―「立場(position)」を理由に「立場(values)」を示さない日本人
アメリカ合衆国の中間選挙で民主党が大勝しました。米紙やテレビなどで目についた表現が Divided Government です。
つまり、行政のトップである大統領と、立法のトップである議会が異なる政党
によって支配されているということで「分けられた政府」「分裂統治(政治)」ということになるんですね。
私がアメリカで暮らしていたときも Divided Governmentの時代でした。議会と大統領の間で予算案に折り合いがつかず、連邦政府機関が shut down されるという事態が何度か発生し、 大きな問題になりました。
そのとき、私はそんなばかげたことがあっていいのかとびっくりしたものですが、一方で立法府と行政府の互いのチェック機能は健全に働いていたということでもあるのです。
I was taken aback※1 by such nonsense at first, but on the other hand※2, checks and balances between the legislative and executive branches was properly functioning.
(私はそんなばかげたことがあっていいのかとびっくりしたものですが、一方で立法府と行政府の互いのチェック機能※3は健全に※4働いていたということでもあるのです)
※1be taken aback by~ =「~で驚く」「~でめんくらう」
be surprised by といった表現よりも知的な印象を与えるのでがんばって使ってみましょう。
※2on the other hand=「一方で」
議論を行うときや意見を提示するときに非常に便利です。
※3「チェック機能」=checks and balances
「チェック機能」は和製英語です。 checking functionとは言いません。もともと、立法、行政、司法の3つの組織が相互に関係し、その権力が行き過ぎないように「監視」「チェック」することによって政府内の「力」の「バランス」が保たれる、という政治用語が checks and balancesです。 これをもって、日本ではより簡素化した「チェック機能」とされることが多いですね。意味は通じるので「チェック機能」で問題ないでしょう。
※4「健全に」
この形容詞に似たような英語表現は sane =「まともに」、または、 そのままhealthilyと文字通り「健全」と全く同じ言葉を使うこともあります。 この場合では、何をもって healthy な状態とするのかが前後の文脈で曖昧(あいまい)なのでわかりやすさをとって properly を用いました。
さて、6年もの間、共和党に牛耳られた議会で何の不自由なく独自の政策と信条を徹底し続けてきたブッシュ大統領が、どのように民主党が支配する議会と渡り合ってゆくのかということが大きな注目を集めています。
早くもラムズフェルド国防長官が更迭されました。イラク政策の変更も余儀なくされることでしょう。
ただ、これまで野党との対立を鮮明にすることで支持を得てきた大統領だけに、その議会対策手腕に疑問の声が上がっているのは当然です。
クリントンはといえば、議会が対立政党によって支配されていながらも、大きな社会保障制度改革も実現するなど、なんとかうまくやったという評価を得ています――さて、今回民主党はなぜ勝ったのでしょうか。
Why did Democrats win?
(民主党はなぜ勝ったのでしょうか)
もちろん、泥沼化するイラク情勢が争点であった選挙であることは確かです。でも私は values が影の立役者だったと見ています。values は日本語では「価値観」と訳されていますね。
例えば、妊娠人工中絶手術、同性婚、胚性幹細胞(ES細胞)研究といった倫理的問題に関する政治家の「立場」が問われました。
問題は、 その政治家が信条としてどこまで liberal =「リベラル」なのか、conservative =「保守」なのかということです。
今回の選挙で候補者は、この values の踏み絵を踏まなくてはいけませんでした。
そして民主党の多くの候補者が、保守層をびっくりさせるような「立場」を取らなかったこと、つまり、以下のようなことをきちんと有権者に訴えたことが、大きな勝因だったのではないだろうか、と私は考えているのです。
Just because we are Democrats, doesn't mean we have
horrendous※1 opinions. We think family values are important, we are not open handedly welcoming same sex marriage, and we think we ought to be cautious to a certain extent※2 about cientific researches that could fundamentally shake the concept of‘life.’
(私たちは民主党だからといって目の玉が飛び出るような意見を持っているわけではありませんし、家族の価値も大事だと思っていますし、同性婚だって手放しで賛成なわけでもないですし、生命のありかたの根本を揺るがすような科学研究に対してはある程度警戒すべきだと思っているんですよ)
※1horrendous =「恐ろしい」「ものすごい」
これは、 horrific などよりもさらに「とんでもない」という印象を与える言葉です。手放しで、両腕を開いて、「歓迎」あるいは「賛成」する、というとき、 英語では open handedly というどんぴしゃりな訳語があります。※2「ある程度は」= to a certain extent
これは以前に取り上げた「ビミョ~」と似たような用法で用いることもあります。例えば「ある程度は認めることができるけど全面的には<ビミョ~>」なとき、こんなふうに言えますね。
I can accept to a certain extent, but....
(ある程度までは受け入れられるけど…)
こんなふうにも言えます。
As to whether I could fully accept, it's questionable.
(私が全部受け入れられたかどうかは、疑わしい)
たとえば日本でも「代理母」= surrogate mother が話題になりましたが、私はこれがニュースになったときにメディアに出ている人 の多くが歯切れの悪い物言いをしていたことがとても気になりました。その人の values は何なのか、それが見えてこないのです。私の「立場」を明らかにしておくと、
Frankly, I see nothing wrong with it.
(正直にいって、何も悪いことはないと思っています)
子供を切実に欲しいと思っている人に、可能となった医療技術を用いることによってその希望をかなえることの限度はあるでしょう。
たとえばクローンに関しては反対です。でも出産の「技術」に関していえば、体外受精が容認されて代理母が容認されないのはおかしいと思うのです。ただ、この場は別に私の values に関してとことん論証するものではないのでこれにとどめておきます。重要なことは私が私自身の「立場」を明らかにしたということです。
私が問題に思うのは、この「立場」という言葉です。
「代理母」の問題では、多くの政治家や専門家が「国民的議論にゆだねるべき」と言います。その背後には、多かれ少なかれ「自分は意見を述べる『立場』にない」という言葉が見え隠れします。
安倍総理大臣も、これまで日本が「侵略戦争」を行ってきたことに懐疑的な発言を繰り返してきたにもかかわらず、総理大臣になった途端に「そのようなことを述べる『立場』にない(むしろ僭越(せんえつ)だ、とまで言いましたね)」と言って、自身の歴史認識の「立場」を明らかにせず、それは「歴史家にゆだねるべき」と言いました。
だんだん問題の核心に近づくにつれてわかりにくくなってきたのでここで「立場」という言葉を整理しましょう。
まず、 values =「価値観」において、どのような「立場」に自分が立っているのか、 つまり opinion としての「立場」があります。わかりやすくするためにこれから「立場(values)」と表記しましょう。
もう1つの「立場」は、安倍総理大臣が「総理大臣という立場からは発言を控えさせていただきたい」と言うときの「立場」です。これほど英語に訳すのが難しい言葉にはあまり出くわすことがありません(苦笑)。
「地位」「身分」という意味の position にあたりますが、今の日本で使われている2番目の「立場(position)」には、新しい使い方が登場しているように思えるのです。むしろ、この「立場(position)」は「立場」という言葉を使うことによって、責任を回避しようとする「逃げ口上」的性質があるように思うのです。
アメリカの中間選挙では政治家の「立場(values)」が争点の1つでした。新しい技術が日々登場し、人々の感情も日々変化する中で「立場(values)」を表明するのはなかなか勇気のいることです。
それでも、政治家という「立場(position)」にあるものは「立場(values)」を明らかにするのが「仕事」なのです。それは、有権者は政治家に、政治的判断を行い、市場や科学技術に規制を作ってもらったり、あるいは撤廃してもらいたいと思っているからです。
政治は「集合的意思」ですから、政治家は「立場(values)」を明らかにしなければいけない。議論や「立場(values)」を「国民」「科学者」「歴史家」に「ゆだねる」と政治家が言うのは、本来的におかしな話です。とどのつまり「あなたの意見はどうなのよ?」ということです。
麻生外務大臣が、「核保有議論容認」発言を行いました。ここでも「外務大臣」という「立場(position)」と「立場(values)」の関係がなんだかねじまがっています。
私たちの多くは「議論をしていいじゃないか」という外務大臣の発言のウラには、「きっと核保有すべきだと思っているんだろうな」と思っていますよね。そうで
なかったらそもそも「議論すべき」なんて言わないですものね。
そうであるなら opinion として、 「核保有」すべきだと思っているのかそうでないのか、という「立場(values)」を明確にすべきである、ということなんです。「議論をすべき」とするなら、まず自分の「立場(values)」を明らかにしなければ、そもそも議論自体ができません。
麻生外務大臣は、「議論は認めるべき」と言っている議員の方々に「いいですよ、じゃあ堂々と議論しましょう。で、あなたのお『立場』は?」と聞かれたら、どう答えるのでしょうか。
「議論をすべき」と言っているのだから、答えるべきですよね。でもなんとなく「外務大臣という『立場』にあるので発言は控えさせていただく」と答えるだろうことが想像できてしまいます。
「政治家」という「立場(position)」は、一時的にその場に「立っている」というものではなくて、その人のそれまでの生い立ちから人となりすべてを持って「賭ける」ものだと思います。
ましてや国の根本に関わる政策に関係する「立場(values)」を表明しないのは、責任放棄です。
日本語では、「立場(position)」から別の「立場(position)」に移ったら、もうまるで「別世界」で、以前の「立場(position)」での行いや発言などは全て洗い流されたかのようになってしまいます。
しかし、「公」の「立場(position)」についたからといって、その人物の「個人」の「立場(values)」がなくなってしまうわけではありません。「個人」であることに変わりはないのです。
英語の position では、ある個人がある position に立っていたときの行いが、新しい position では消える、というほどの力を持っているわけではありません。
英語の position にも日本語の「立場」と同様に、「地位」「身分」という意味と、「意見」あるいはこれに類似した「立ち位置」という2つの意味があります。
ですが、日本語と違うのは、責任ある「立場(position)」に立ったから「立場(values)」を明らかにしなくてよいわけでは決してないという点です。
むしろ、責任ある position に立つほどにその人の values や position on various values =「さまざまな『価値観』の『立ち位置』」を明らかにすることが求められるのです。
さぁ、あなたのこの問題への「立場」はいかがですか?
これからは「立場」という言葉にご用心。








