はじまりのときは“ZERO”になる―現実を「想像」するには“imagine”“picture”のどちらを使う?
こんにちは。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
How is everything?
私はこの9月でラジオでのお仕事に一区切りをつけ、10月からはテレビの報道の現場で新しく活動を始めることになりました。
ちょう ど、ラジオの最終回を終えた日の午後にこの原稿を書いています。
いつも、最後のときはどんなふうに終わるんだろうか、と想像してきました。
私の中で「想像する」というと、むしろ「シミュレーション」に近く、どんなことをどんな流れで言うのか、具体的なところまで「想像」します。
→「想像する」で imagine picture のどちらを使いますか?
面接のときなど、想定される質問に対してだいたい何を言うのか考えておくと、緊張していても何とか乗り切れたりしますよね、似たような感じです。
私の英語は、いわゆる「アメリカ英語」なんですが、もうだいぶ日本に住んでいるせいと、ラジオのインタビューでいろんな国の方とお話をすることが影響して、発音がニュートラルです。
My accent of English is‘neutral.’
(私の英語の発音は「ニュートラル」です)
neutral というと、 「中立」という意味かと思われますが「何の色づけもない」という意味合いもあります。
「無味無色」というほどではないですが、これといって特に何か特徴があるわけではない、といったくらいの表現にもよく用いられます。
ばりばり巻き舌のカリフォルニアン・アクセントで話すと、例えばドイツの方と英語でインタビューを行ったときに、先方が聞き取れなくなってしまうことが多くなります。
というのも、ヨーロッパの国々におけるネイティブの英語教師は、たいていイギリス人だからです。
ヨーロッパの方々は「イギリス英語」の方に親しんでいるんですね。
といっても最近ではハリウッド映画とアメリカ・ドラマの影響が絶大で、若い人では「アメリカ英語」により近い発音の英語を話される方も増えているようです。
日本に帰国したとき、ラジオの DJ が日本語と英語をするすると切り替えて話されるのを聴いていて、「よくこんな器用に切り替えられるなぁ」と感心しました。
私は、外国にいるときはその国の言葉で、日本に帰ってきたときは日本語で、というのが当然だと思っていました。
むしろ日本に住んでいるときは外国語を話せたりすると学校や塾でいじめられたりすることが多いので、ひたすら帰国子女であることを隠したほうが安全だったのです。
ところが最近では、いわゆる「アメリカン・スクール」といった国際学校出身の方がメディアなどに露出する機会が増えて、英語と日本語の「ちゃんぽん」が普通になってきています。それが国際学校出身者にとっての「自然」な話し方なのでしょうね。
ラジオでは、曲を紹介するときなどは英語を交えたりしますが、これが最初は恥
ずかしくてうまくできませんでした。
「英語と日本語を話すときは人格が違うからそんな切り替えられない」とか「なんで聴いている人はほとんど日本人なのに英語で話すんだ」などという疑問をぶつけてディレクターを困らせたりしていました。
でも今思うとそれは私がこだわりすぎていただけなのかもしれません。
「こだわり」。
「こだわる」という動詞と「こだわり」という名詞では、随分意味の違う言葉ですよね。動詞の「こだわる」は、何か頭が固いような少しネガティブに使われることも多い。名詞の「こだわり」は「ポリシー」という、よりポジティブな意味合いのほうが強い。
ラジオでの朝の報道番組は、三年半担当してきましたが、いろんな「こだわり」と「こだわったこと」がありました。
いい意味でも悪い意味でも。
最初は「英語」に対する妙な「こだわり」(これは悪い意味かな)があったけれど、それもだんだんと解けていって、きちんと情報として伝えるべきところは日本語で、通訳するところではきちんと訳す、という基本をおさえれば、自由に英語を使ってもいいではないか、と思うようになりました。
そうすると、「英語の勉強になります」とか、「英語の発音が好きです、もっとしゃべってください」といったメッセージをリスナーからたくさんいただくようになりました。
「こだわり」を英語で言うとすると?
やはり日本語でも 「モットー」として使われる motto が一番近いかもしれません。
I make it my motto to...
(私は…というこだわりを持っている)
あるいはもっと単純に policy を使って
でもいいでしょう。
問題は動詞の「こだわる」です。「拘る(こだわる)」と漢字で書いたほうが分かりやすいのですが、何かに取り付かれたように、離 れるに離れられないような状態なんですね。
この意をくんだ訳語と なるとちょっと厄介です。
いちばん近いのは前回も出てきた表現の get over =「~を乗り越える」を否定形で用いた、 can't get over =「~を乗り越えられない」、ではないでしょうか。
例えば、あなたの部下が、大事な企画会議であなたの提案しようとする企画の資料を忘れてしまったことがあったとしましょう。もう だいぶん前の話で、そろそろ許してあげてもいい頃なんですが、ど うもあなたはその部下を信用できない。
そんなことに関して、同僚が次のようにあなたに言ったとします。
「もういいかげんあの件にこだわるのはやめて彼を許してあげたら?」
これを英語でいうと、
Isn't it about time you get over that incident and forgive him?
「こだわる」というのは、一つの出来事、ものごと、意見、に「とどまる」、そこから「離れないでいる」ということですよね。
get over は何かを「乗り越える」、そして「忘れる」、「忘れる」まではいかなくても「気にならなくなる」という意味でよく使われます。
たとえば悲しい出来事だったり、なんらかの試練だったり。これを否定形で使うと、「一つのところにとどまりつづける」ことになって「こだわる」の訳語になるかと思います。
ところで、毎朝のラジオ番組の始まりと終わりは、英語で挨拶をしていました。今日の最後の英語のあいさつも、ずっと前から言おうと決めていたものがあります。
長年つとめてきた CBS をやめた伝説的アンカーでありジャーナリストでもあるダン・ラザーがCNN のラリー・キング・ライブに出たときに 「CBS をやめたことに後悔はないんですか?」とラリー・キングに聞かれ、ラザーが言ったことなんです。
King: Did you ever regret quitting CBS?
(CBS をやめたことに後悔はないんですか?)
Rather:No. It's my mother's saying and I keep telling myself all the time;
‘For yesterday no tears, for tomorrow, no fears.’
(いいえ。母がよく言っていたことわざなんですが、いつも自分に言い聞かせているんですよ。 『昨日に涙なし、明日に恐れなし』とね)
英語では「涙」= tears と「恐れ」= fears が韻を踏んでいるのがよりいいのですが…。これは「こだわり」と非常に密接な関 係のあることわざだと思います。
ラリー・キングは 「長年つとめあげてきた CBS のキャリアに対してこだわっていませんか?」ということを聞いていたと思うんですね。
それに対してラザーは「過去にはこだわりません。自分は未来を向いています」と答えた。それは、何かにネガティブに「こだわる」ことはせず、常に前向きに自分を拓いて(ひらいて)いくという、人間ダン・ラザーの「こだわり」の表明でした。
私は、 10月からは日本テレビの新しい報道番組『NEWS ZERO』のフィールドキャスター(報道記者とキャスターを同時にやる役回りです)をつとめることになります。
一切の「こだわり」を捨てて、まさに ZERO から始めようと思っています。よかったら見てください。







