Vol.5 『臨床瑣談』
中井久夫の前著『こんなとき私はどうしてきたか』(医学書院)は、著者が精神科医として患者にどう接してきたか、どんな言葉をかけてきたかを子細に語った講義録だった。今回の書名は「臨床経験で味わったちょっとした物語というほどの意味」だとあり、精神科以外のことや、自身が患者として、あるいは患者の家族・友人として経験したことが記されている。
「身も蓋もない言い方だが人の死亡率は百パーセントである」
負けいくさであるのが決まっている場所で、何ができるか。
「人生のQOL(生活の質)の積分値を最大にする」
どうしたらそんなことができるのだろうか。
脳梗塞で昏睡状態になった、自分の舅を看護する話がある。
「センセイにできることがあるなら、何でもおやり下さい」
と院長にいわれて、とっさに知恵を巡らす。視覚を刺激するため、一時間に五分、ペンライトを眼に近づけよう。聴覚に対しては、妻が耳元でささやき続ける。意識を支える三叉神経の刺激には、足の裏をくすぐるのがいい。
「やりはじめて実感した。楽なのである。ただ見守るのに比べて、何かをしているということはどれほど時間の重みを軽くしてくれることだろう」
足の裏をくすぐられて脚を縮めたり、瞳孔が光に反応したり、呼びかけにまばたきで答えたりと、生命が働いているきざしが現れてきて、翌朝には意識が回復した。しかし著者が病院を去ったあとに舅は常食を平らげ、消化器から大量に出血し、絶命した。
ハッピー・エンドにはならなかった。それでも、まばたきで交信した一夜は、そこにいた三人にとって最後の贈り物となっただろう。臨床の場でしか受けとれないものもある。近代医学を過信せず、かといって感傷的にもならずに、何かをやれることもある。
もちろん成功した(=その後もしばらく生存できた)話も紹介されており、医者や患者にとっては実際の役に立つだろう。ガンの治療に使う丸山ワクチンに関する章は、月刊「みすず」掲載後に大きな反響を呼んだという。
さしあたっては医者でも患者でもない人にも、たとえば
「せっかく眠気がやってきたのにまた去ったら、焦って眠ろうとせず、四十五分後には眠りの潮が引き潮から上げ潮に変わるから、それまで次の『眠りのバス』を待つ心地で」
というような一文は、効きめがありそうだ。
宇田智子さん
ジュンク堂書店池袋本店にて人文書を担当。書店歴七年。NTT出版Webマガジン「Web nttpub」で「本と本屋と」連載中。