Vol.4 『自爆テロ』
著者、タラル・アサドの立場は複雑だ。
彼の父はロシア系ユダヤ人であり、ジャーナリストとして中東で生活している中でイスラーム教に改宗。タラル自身は母の母国であるサウジアラビアに生まれインド、パキスタンで幼少期を過ごしイギリスに留学。第二次世界大戦中にはユダヤ人である祖父や叔母たちはナチスに殺害されている。両親の離婚・親との別離、英国人無神論者である女性との結婚。さまざまな境遇に身を置きつつ、2001年9月11日当時そして現在に至るまでアメリカの大学に所属している。
西洋とイスラーム世界のはざまに身を置く「ディアスポラの知識人」であり、彼が何者であるかを単純に言いあらわすのは難しい。
この本の内容は、解説者の磯前順一の言葉を借りれば「自爆テロを行った者の動機をめぐる心理分析や、彼らの奉じるいわゆる原理主義そのものの分析ではない。<正義としての戦争/悪としての自爆テロ>という二項対立的な西洋側の言説を問題視することを目的として書かれたものである」。
西洋とイスラームを「文明/野蛮」と固定的に位置づけ、その枠組みの中だけで解釈される自爆テロを巡る思考停止状態のなか、無差別に人を殺害する「テロ」と、ルールを作る人たちが行う、無差別に人を殺害するルールにのっとった「正しい戦争」にどれだけの違いがあるのだろうか。
この本は、歴史に残る一冊だと絶賛される程のものではないだろう。そして、誰もが読まなければならない一冊でもないだろう。さらに、この本には答えは書かれてはいない。そう簡単に答えのでるものでもないだろうが、読者としては一冊ですべてが分かるほうが好ましいことは予想できる。しかし、世界はそれほど単純には出来ていない。
様々な立場の人の、たくさんの思考の過程を読み進める上で得られる知識と視野。たくさんの立場が乱立する中で、一つの理解が一つの疑問を生み、その疑問の解消がさらなる疑問を生む過程で得られる楽しさ。それが専門書を読む上での魅力の大きな一つだとするならば、タラル・アサドという境遇を生きた人の思考過程に出会えるこの本は魅力的なものである。
付言すれば、タラル・アサドと『宗教を語りなおす』で共編著者となった磯前順一の60ページ以上に渡る「解説 ディアスポラの知識人 タラル・アサド 他者と共に在ること」も読み応えあり。
考え続けるための指針のひとつとして。
『自爆テロ』(青土社) |
糸日谷智さん
東京大学生協本郷書籍部にて人文書などを担当。他に最近読んだ本は『ゼロ年代の想像力』(早川書房)『武士はなぜ歌を詠むか』(角川書店)。本人曰く「読書傾向はない」。大学生協切っての読書家。
→東京大学生協ホームページ(http://www.utcoop.or.jp/HB/)